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「タダマス」の船出 Maiden Voyage of “TADA-MASU”

  1. 2011/04/17(日) 01:58:59|
  2. ライヴ/イヴェント・レヴュー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
 前回、遅ればせながらの告知をした益子・多田両名による「四谷ティー・パーティ」に行ってきた。私とともに批評ユニット「タダマス」の船出を祝い、NYダウンタウン・シーンの先端サウンドに耳をさらして、歴史の目撃者となり得た人が少なかったのは返す返すも残念だが、私にとってはいろいろと発見もあり、また感覚と思考を大いに触発された貴重なひとときだった。そのことをここにリポートしておきたい。


 使用されたスペースは以前にリポートしたTactile Sounds Vol.1同様、喫茶茶会記のRoom L。部屋の長辺にセッティングされたアルテックの大型スピーカーに対面して参加者が座り、出演者はこれに左側から話しかけることになる。進行は選盤リスト(選ばれたトラックの曲名、演奏者名等も網羅した丁寧なつくりのもの。ジャケット写真もカラーで掲載されている)に沿って行われた。リストの内容は益子博之「2010年に聴いた10枚」(http://homepage3.nifty.com/musicircus/main/2010_10/tx_3.htm)としてmusicircusに掲載された10枚+ぎりぎり選から漏れた作品やその後の注目盤など。基本的には益子が内容を紹介しながら各作品から1曲ずつプレイし、多田やゲストのかみむら泰一氏がコメントするかたちで進行した。

 各作品はそれぞれに聴きどころを持っていて、興味深く楽しむことが出来た。ただ、ここでは私が触発された2点に絞って話を進めよう。


1.フレーズからトーンへ(フォルムからマチエールへ)

 まず1点目は益子・多田がそろって「フレーズからトーンへの変化」を指摘したことである。益子はこれを「サックス奏者の系譜を以前はフレーズで追えたのに、今はそれができなくなっている。むしろ、音の響かせ方の違いが系譜をつくっている」と説明し、一方、多田はChris Speedの演奏を「棒読みの魅力」と評した。

 実際、今回選ばれたほとんどの作品でサックスがフィーチャーされているのだが、ジャズのサックス演奏の典型と言うべき螺旋状のディスクールを主体としたものはほとんど無かった(数少ない例外がHugo Carvalhais作品におけるTim Berneであり、彼の演奏は他のポルトガル人の若手3人の演奏の前面にカット&ペーストされたように聞こえた)。細分化されたリズムに対し、運指はむしろ緩やかであり、引き延ばされたフレーズを息遣いの繊細さが支えていた。

 サックス演奏における「トーン」は、マウスピースやリードのセッティングも大きく関わるものであり、特にジャズにあっては、演奏者個人のヴォイス=個性、あるいは楽曲に対する解釈の一部として、「演奏前にプリセットされるもの」ととらえられていたように思う。しかし、この日何度も登場したTony MalabyやChris Speedの演奏においてはそうではない。息自体の抑揚やサウンドに対する吹き込む息の配分が、一連なりのフレーズの中で変化していくのだ。しかも通常のイントネーションとは異なった仕方で。

 ジャズ演奏の通常のイントネーションは、慣習や知恵、あるいは流行が混合・発酵するなかでかたちづくられていったものであり、端的に言って「ジャズらしく、カッコよく」聞こえるようにできている。「永字八法」のような運筆法を思い浮かべてもらうのがいいだろう。「起筆はこう入れて、こう止めてからすうーっと‥」とか「右払いは‥」というヤツである。これらは字がカッコよく見えるための慣習と知恵の集積であり、オートマチックにそう身体が動くように「身に着けて」しまう類のものだ。これに対してChris Speedは「ひょろっと入って、真ん中ぐぐぐっと力が入って、ボツッと終わる」みたいに自らの必要に応じて独自の運筆を編み出している。すなわち、通常のジャズのイントネーションに従っていない。その結果、多田の指摘するように「棒読み」に聞こえることになる。だが、これは話が逆で、ジャズのイントネーションを何の疑いもなく採用し、「オートマチックに感情を込めて」演奏してしまっているのは、他の数多のサックス奏者の方なのだ。そうした「プリセット」を拒絶し、自らパラメータを操作しはじめた成果が「棒読み」であり、そこにはジャズの慣習的イントネーションに染まりきった耳にはもはやとらえられきれない、別種の変化が繰り広げられているのだ。そのことを「タダマス」の2人の耳は確実にとらえている。

 ここで2人は「トーン」という語を用いているが、我々はこの語を、いま見てきたように、従来の固定した「トーン」から断絶し、「個性」や「解釈」、あるいは「慣習」を離れて操作しうるパラメータとして、新たにとらえ直さなければならない。そして彼らの言う「トーン」を「(サウンド)のマチエール」と言い換えれば、フリー・インプロヴィゼーションやフィールド・レコーディング、ドローン、アンビエント等を対象とした私の議論と接続することが可能と考える。私はSound Cafe dzumiにおけるシンポジウムやレクチャーで宮川淳「アンフォルメル以降」を引いて「フォルムからマチエールへ」の変化を指摘した。これを「フレーズからトーンへ」の変化と重ね合わせることができる。
 この背景には、おそらくは音楽/サウンドを時間軸と音高の直交座標でプロットしてとらえることの失効があるだろう。そうしたとらえ方でこぼれ落ちるのは、倍音構成であり、音の立ち上がり/立下りであり、音の手触りをはじめとする様々な「触覚的」要素であり、さらには匂いのように無意識を突き動かし連想や記憶に至る何物か、つまりはミュジーク・コンクレートの創始者ピエール・シェフェールが探し求めた「ドレミの外」にほかならない。


2.ジャズの分解/再構築に向けて

 このことは別の視点からも確認することができる。ピアノはまさに前述のプロット・システムそのままの楽器であり、確定した音程や倍音構成を変化させることができない。そのためフリー・インプロヴィゼーションの分野で注目すべきピアノ奏者たちは、ディスク・レヴューでも触れたように、プリペアドや内部奏法を駆使する方向へ進んでいる。今回、多くの作品で見られたのは、ピアノはむしろ単純なラインを繰り返し、リズム隊やエレクトロニクスのミクロな変化に照らし出されることによって、多様なニュアンスを獲得するという戦略であった(益子の指摘する「フロントとバッキングの逆転」とは、おそらくこのことだろう)。これに対し、今回驚かされたのはCraig Tabornの果敢な挑戦である。

 Chris Lightcap's Bigmouth / Platform (from “Deluxe”)
 Gerald Cleaver Uncle June / 22 Minutes (from “Be It As I See It”)

 前者におけるCraig Tabornのエレクトリック・ピアノ・ソロによるイントロダクションは、ほとんどグリッドのオン/オフだけで構成されており、ジャズ・ピアノ特有の細かな刻みやビートのずらしをほとんど用いない。原稿用紙の升目に整列する隅々までコントロールされきった音。夢見るように甘い音色のフェンダー・ローズではなく、無機質に角ばったウーリッツァーを弾いているのも確信犯だろう。ここで目指されているのは、プレイヤー・ピアノ的な、グリッドに沿ったあくまでデジタルなグルーヴなのだ。とすればエレクトリック・ピアノの採用も、アコースティックなニュアンスを消去して、均質で冷ややかなサウンドを得たいがためだろうか(後者ではアコースティック・ピアノにより、前者に優るほど怜悧で定規で引いたように端正な音を並べている。その結晶格子を思わせる硬質な感触は池田亮司をすら思い浮かべさせる)。

 実はTabornによるこうした方向性は、グループに確実に共有されているように思われる(益子によればリーダーLightcapは新たなメンバーであるTabornを「グループに不可欠の存在」と評しているとのこと)。彼のソロによるイントロダクションに重ねられるのはGerald Cleaverによるドラムスなのだが、サンプリングされたサウンド・レイヤーを敷き重ねていく分解/再構築の手つきが明らかに感じ取れる。さらにそこに2サックスの緩やかなラインが重ねられ、それが剥ぎ取られて再びTabornのソロになるのだが、続くChris Cheekのテナー・ソロは、ほとんどTabornのソロをテナーに転写した趣がある。

 ヒップホップ勢によるジャズ・サウンドの分解/再構築(Madlib以降の‥と言うべきか)への対抗意識(ジャズを生きてきた俺たちはもっとうまくやれる)が、ここには確かに横たわっているように思われる。この2作品を続くChes Smith&These ArchesやDan Weiss Trio、Rob Garcia 4等の作品から際立たせているのは、この分解/再構築への強いこだわりと、これに基づいて徹底的に突き詰めたサウンド構築の強度にほかなるまい。この点が2点目である。


3.垣間見えた風景

 私と益子は「触覚」、「風景」等をキーワードとして、それぞれ自分の聴いている音楽の分析を試みてきた。同じ用語を用いているものの、取り扱っている対象はもちろん異なるし、指差している現象もやはり違っているのではないかとも思われた(私には変拍子の多用をはじめ、リズム・フィギィアの複雑化がなぜ「触覚」に結びつくのかわからなかった)。しかし今回、以上の2点の確認を通じて、これまで益子の指摘してきたことと、私が考えてきたことが「地続き」であると強く感じた。それは共により大きな文化的地殻変動の一部なのかもしれない(NYダウンタウン・シーンにおけるクラリネットの復権も、決してノスタルジアの産物ではなく、私が「2010年ベスト30」のThe Internationale Nothingの項で指摘したクラリネットの音響的特徴によるものではないだろうか)。いずれにしても、それぞれが別の地点から、互いに示し合わせたわけでもないのに、よく似た景色を眺めていたという事実は、私を大きく力づけ、また、更なる探求に向け触発してくれるものとなった。

 もちろん益子・多田による選盤・選曲について「これがそのままNYダウンタウン・シーンの要約・紹介となっているのか」との疑念を持つ方もいるだろう。確かにバイアスはかかっているかもしれない。しかし個人的にはシーンや傾向の「バイアスのかかっていない要約・紹介」などというものはおよそ不可能であるし、また、役にも立たないと考えている。なぜなら、シーンの流動や新たに生じた傾向を、「可能性の中心」において鋭くとらえ得たとして(それは批評の使命のひとつであるのだが)、それが正しいとはリアルタイムで検証できないからだ。むしろ、現地での観客動員やメディア露出度等を根拠に、「バイアスがかかっていない」ことを売り物にする方が信用できない。じゃあ日本の音楽シーンで、ライヴが満員になったり、雑誌に載りまくるミュージシャンは、すべて本当に素晴らしいのだろうか。自分の耳で音楽を聴いている聴き手なら、そんなことなどないことをよく知っているはずだ。

 益子が選んだ対象範囲は広くないかもしれない。だが、それは感度の高いアンテナが絞り込んだブツなのだ。絞込みが機能しているからこそ、ある傾向が浮かび上がり、言わば一筋の線が見えてくる。単なる現象の羅列ではなく、ある「風景」を垣間見ることができるのも、そうした準備作業があればこそである。一人ひとりの観察や思考など、所詮は「管見」に過ぎない。しかし、深く深く掘り進むことによって、何かの地下水脈に行き当たり、そこで別の方角から掘り進めてきた奴らと偶然出会う幸運もあるのだ。それはおそらく、長く孤独な旅路において、束の間「同志」に巡り会えた瞬間なのではないだろうか。

2011年4月16日(土) 15:00-18:30
於:四谷3丁目 喫茶茶会記




今回プレイされた18枚からの5枚(福島選)



【作品の強度において卓越した2枚】

Chris Lightcap's Bigmouth / Deluxe (Clean Feed)


Gerald Cleaver Uncle June / Be It As I See It (Fresh Sound)



【改めてChris Speedに拍手した2枚】

Jacob Anderskov / Agnostic Revelations (ILK Music)


Endangered Blood / Endangered Blood skirl Records)



【これはまた別 ヴァイオリンの流麗さに涙した1枚】

Lucian Ban & John Hebert / Enesco Re -imagined
(Sunnyside Communications)

批評ユニット「タダマス」デビュー  The Critic Unit “TADA-MASU” Debut !

  1. 2011/04/16(土) 00:07:15|
  2. ライヴ/イヴェント告知|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
 元ECMファンクラブ会長にして、現musicircus主宰者である多田雅範と、元com-post編集人にして、現Tuctile Sounds企画者である益子博之が結成した批評ユニット「タダマス」が4月16日(土)にいよいよ初お目見えする。

 「現代ニューヨーク・ダウンタウン系を中心とした新譜CDを紹介する」という内容は、Clean Feadあたりから続々とリリースされるNYジャズの先端作品群を、「いいなあ‥」と思いつつ指をくわえて横目で眺めていた私にとっては、何ともありがたい企画だ。ジャズの先端を、ジャズ世界の中から仰ぎ見るだけでなく、その並外れた雑食的聴取によってジャズ世界の外に出て、横から対象化して先端を眺めることのできる2人だからこそ、明らかに出来ることがあるはずだ。

 「いやいや、あくまでも目指しているのは軽い漫才です」と益子は否定するが、私はだまされないぞ。NYジャズ・シーンの定点観測を粘り強く続ける益子と、クラシック・コンサートに通いつめ、J−POPからディストピア・アンビエントまで、糸の切れた小惑星のように聴き倒す「ロバ耳」多田が組んで、何も起こらないわけがない。

 2人による音盤茶会の予定内容は以下の通り。私といっしょに、ぜひこの一大事の歴史的目撃者になりませう。ちなみに「タダマス」は私が勝手にそう呼んでいるだけで、未だに正式名称としては認知されておりませんのでご注意ください。念のため。


masuko tada yotsuya tea party 〜 益子多田 四谷音盤茶会
vol.1:4月16日(土)open 14:30/start 15:00/end 18:00(予定)

■会場
綜合藝術茶房 喫茶茶会記
東京都新宿区大京町2-4 1F 〒160-0015
http://sakaiki.modalbeats.com/

■お問い合わせ
綜合藝術茶房 喫茶茶会記
tel:03-3351-7904(15:00〜23:00)
mail:sakaiki@modalbeats.com

■参加費:¥1,100 (1ドリンク付き)

詳細はこちら↓をご覧ください。
http://gekkasha.modalbeats.com/?cid=43767



ディスク・レヴュー2011年1~3月  Disk Review Jan.to Mar. 2011

  1. 2011/04/12(火) 22:12:43|
  2. ディスク・レヴュー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
1.焦点を持たない風景

Cranc / Copper Fields
(Organized Music from Thessaloniki #9)
Angharad Davies(violin),
Rhodri Davies(electric harp),
Nikos Veliotis(cello)
試聴 http://thesorg.noise-below.org/2/?p=222

 ここで音は決して演奏者の立ち位置や輪郭を明らかにしない。ステレオ空間に音像として定位するかわりに、希薄な音響は相互に浸透し、見分け難い一様な広がりを作り出す。風のない冷えきった湖面にたちこめる厚いもや。あるいはグラス・ハーモニカから香りのようにたちのぼる倍音のたゆたい。しかし、眼を凝らせば、そこに幾つかの手触りの違いが浮かび上がる。手漉きの和紙にも似た肌理をたたえたヴァイオリン。より彫の深い木目を露にするチェロ。対して、おそらくはe-bowで奏されているのだろう、ハープは弦の摩擦を感じさせることなく、おぼろな明るみを空間に溶かしていく。これらの音が切れ切れにほつれ重なり、中空を半透明に漂う。だがそれは決してスタティックなドローンではない。彼らはただ音色のパレットを展示しているわけではない。むしろそこで繰り広げられているのは、マッチ棒のタワーを3人が左手の小指だけで支えているような、危うい力の均衡がつくりだすサウンドスケープ(ミクロなフォルムの絶え間無い生成/変容)にほかならない。足元を揺らがせる波打つ重低音が、遠くで鳴り響くベルにも似た金属質の粒立ちが、いや水平な持続のたなびきそのものが、先の均衡の原理を通じて音風景をなだらかに推移させる。時折訪れる劇的な変化、もやが澄みわたり遠くまで見通せたり、そこに一筋の光が差し込んだりも、所詮、持続のひとコマに過ぎない。


Craig Vear / Aud Ralph Roas'le
(Gruenrekorder Gr075)
Craig Vear(field recording)
試聴 http://www.gruenrekorder.de/?page_id=2693

 もともと風景に焦点などないのだが、意識的/無意識的な枠づけが、ものの輪郭や近景・中景・遠景の区分をもたらす。これにより風景は、まさに絵の如くに現れることになる。フィールド・レコーディングを音による風景画の制作ととらえ、そのように整序された空間を提示するアーティストも多い。そこには失われつつある自然やコミュニティの姿がいきいきと「記録/保存」されることだろう。そうした視点からすれば、この作品は失格かもしれない。例えば冒頭、波のうねりとざわめきが眼前を覆い尽くし、しかるべきパースペクティヴを一向にもたらそうとしない。そこにあるのは海辺の風景ではなく、逆巻く波へと放り込まれ、距離を欠いたままものの存在に脅かされる、苛酷な耳の体験にほかならない。得体の知れない響きやざわめきが、身体の内側に容赦なく入り込み、あるべき世界の輪郭に収まることのない、その無際限で不定形な豊饒さで聴き手をたじろがせる。この圧倒的な流動/生成に耳をさらす体験は、先のCrancによる演奏を3人の演奏者に還元せずに聴くことと明らかに通底している。



2.「実験」のもたらす「現象」


Kuchen,Rodrigues,Rodrigues,Santos / Vinter
(Creative Sources CS158cd)
Martin Kuchen(alto saxsophone),Ernest Rodrigues(viola),Guilherme Rodrigues(cello),Carlos Santos(electronics)
試聴 http://www.squidco.com/miva/merchant.mvc?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=12901&Product_Count=&Category_Code=
 先のCrancに比べ、4人の演奏者の姿ははるかに見極めやすい。そのことが、彼らの自らのサウンドに課している「制限」−どこまでも水平であること−を痛々しく浮かび上がらせる。4つの音の層は平らかに積み重なりながら、決して安定/均衡へと至ることはない。フレージングを排し、マティエールを露にしながら、音は決して互いにもたれ合うことなく、日本刀の刃の間に髪の毛を挟むように極小の隙間を保ったまま、ふるふると緊張に震え、危うく接触しそうになった瞬間、ミクロな爆発が起こる。ここでもひとつひとつの音は、微細な揺らぎや小刻みな反復振動をはらみながら、切り詰めた定常状態を保っており、この「実験」的な条件設定が先に見た相互干渉により、演奏者間の通常の対話では生み出し得ないような、豊饒にして予測不可能な「現象」をもたらす。まるですべての音が高密度に帯電/帯磁しているかのように(誰もいない部屋で楽器が独りでに鳴りだし、ラジオのスイッチが入る)。


Tilbury,Duch,Davies / Cornelius Cardew Works 1960-70
(+3db +3db012)
John Tilbury(piano),
Michael Duch(doublebass),
Rhodri Davies(harp)
試聴 http://plus3db.net/

 ピアノの冷ややかに張り詰めた打鍵。軋みを重層化し、胃の腑に重くのしかかるベースの弓弾き。コントラバスのミュートされたピチカートが、墓穴を埋め戻す土くれにも似た響きを立てれば、傍らでハープが暗闇に閃光を走らせる(マッチを擦る音と匂い)。音に音を寄り添わせるのではなく、まずは一音一音に自ら空間を切り開く強度を与えることから彼らは事を始める。響きがそれぞれの場所で孤独に屹立していながら、それでもひと連なりの時間を生きていると感じられるのは、やはりこれがコンポジションだからだろうか。とはいえカーデューがケージから学んだ不確定性の導入は、むしろ音から作曲者の意図や作品の解釈という「安全毛布」を引きはがすことに役立てられる(ぽつんぽつんと点在する音はひとり暗闇に肌をさらし震えている)。カーデューの60年代を「不確定から即興へ」と要約するならば、それゆえ前者の方がより興味深い。作曲による確定的な位置付けを容赦なく剥ぎ取られ、しかし依然として即興演奏の傘の下に走り込むことのない裸の音の群れに、時折プラズマにも似た眩い光の線が走る。それこそは「実験」がもたらした「現象」の輝きと言うべきだろう。


Tzenka Dianova / DeConstruction−Tzenka Dianova Plays Satie & Cage (Atoll ACD 309)
Tzenka Dianova(piano,prepared piano,celesta),
Charlotte Rose(electronics),
Sarah Watkins(prepared piano)
試聴 http://tzenkadianova.com/audio-visual

 John Tilburyをおそらくは唯一の例外として、Magda Mayas、Sophie Agnelなど、最近注目しているピアニストたちは、ピアノの確定した音程と倍音構成に飽き足らず、そこから新たなサウンドの広がりを引き出すため、みな内部奏法やプリペアドを駆使している。その結果、超高性能サウンド/ノイズ・マシーンへと生まれ変わったピアノに対し、もともとのピアノからの「異化」された距離を問うことは、もはや問題にならないとすら思われた。しかし、Dianovaによるケージのプリペアド・ピアノ曲「The Prelious Night」の演奏は、生まれて初めてプリペアドされたピアノを聴いたかのような新鮮な衝撃に溢れている。「ステージ上のスペースの不足から、打楽器アンサンブルの代役として発想された」プリペアド・ピアノの来歴を思い出させるコンパクトさは微塵もなく、打楽器オーケストラさえ上回る強靭な打撃/サウンド・カラーの鮮烈な対比が炸裂する。良識のリミッターを解除することにより、重厚な調度品めいた佇まいが封印していたピアノの獣性(鋼鉄のフレームと凄まじい張力で張り渡された弦)を解き放つ試み。プリペアドされていないピアノによる同曲の演奏を電子変調しながらパッチワークした表題曲や、2台ピアノ用に編曲してガムラン色を強めた、やはりケージ作曲の「Bacchanale」、夜更けにそぼ降る雨にも似たチェレスタ版「Vexations」(サティ作曲)などの試みも実に興味深い。



3.フリーの「定型」を遠く離れて


Jean Derome,Le Quan Ninh / Flechettes
(Tour de Bras TDB9004cd)
Jean Derome(flute,alto saxophone,bird calls,little instruments),Le Quan Ninh(objects over bass drum)
試聴 http://www.squidco.com/miva/merchant.mv?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=14200

 横置きにしてスタンドに乗せた大太鼓を様々な音具でこすりたて、倍音領域に間断なく攻撃を仕掛けることにより、ル・ニン・カンは空間を荒々しく鎌で掻き取るようなムーヴメント(速度と強度)を生み出し、逆巻く波しぶきや吹き荒れる暴風をはじめ、獰猛な自然の音響を眼前で弾けさせる(エディ・プレヴォーによる安定した繊細なドローンと比べてみること)。対してジャン・ドゥロームは様々な管楽器にあらん限りの息を吹き込んで、サウンドの沸騰状態をつくりだす。音は突如として泡立ち吹き上がり、あるいはどこまでも引き伸ばされて、腱の切れた組織からぼろぼろと音の破片がこぼれ落ちる。カートゥーン・ミュージックの走り回る騒々しさを終始手放さず、時には朝鮮巫楽や雅楽のイミテーションにすら至る2人の応酬は、エレクトロ・アコースティックな静謐さを遠く離れながら、自らを切り刻むフリー・ジャズの閉域(きりもみ状のディスクールやねじれた咆哮、あるいはパルスの乱射への耽溺)にとらわれることがない。


Clang Sayne / Winterlands
(Clang Sayne CSCD01)
Laura Hyland(vocal,acoustic guitar),James O Sullivan(electric guitar,objects),Peter Marsh(double bass),Matt Fisher(drums)
試聴 http://www.myspace.com/clangsayne

 女性ヴォーカル入りのフォーク/ロック・グループ編成による楽曲は、「編集やオーヴァーダブ無しのライヴ演奏」という断り書きからして、即興の力に多くを負っていることだろう。雪の結晶のようにぴんと張り詰めながら、さらさらと崩れて、決して厚く積み重なることのない演奏と、アナイス・ニンや万葉集からの引用(潮満てば水泡に浮かぶ真砂にも我は生けるか恋ひは死なずて)を採りあげて、体温を高めることなく静かな昂揚に至る声‥‥という素晴らしい組み合わせは、ジュリー・ティペッツの名盤「サンセット・グロウ」全編を満たす、冬の早朝の凜と澄み切った空気感を直ちに連想させる(時に見せる揺らぎに満ちた厳かな詠唱は、パティ・ウォーターズ「カレッジ・ツアー」を引き合いに出すべきだろうか)。歌詞の描き出す情景を突き抜けて、果ては歌の衣すら脱ぎ捨てる声に、どこまでも付き従い、彼女と同じ景色を見つめ続ける演奏の細やかな心くばりこそ、「即興」と呼ぶにふさわしい。

束の間の音の旅路(コルシカとサルディーニャ) A Brief Sound Trip around Midnight(for Corsica and Sardinna)

  1. 2011/04/02(土) 23:56:55|
  2. ディスク・レヴュー|
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  4. コメント:0
 某月某日、多田雅範さんの車で今まで見たことのない暗〜い246号線を通って、表参道は月光茶房へ。早速、入店したばかりの新譜Paolo Fresu「Mistico Mediterraneo」(ECM)を聴かせていただく。繊細ながら味も匂いもあるパオロ・フレズのトランペットとエスニックな男声合唱(コルシカン・ポリフォニー)の絡み。店主の原田正夫さんが「さらに‥」と出してくださったのが、Paolo Fresu「Sonos e Memoria」(ACT)。これは以前にディスク・レヴューで採りあげたことのある愛聴盤。フレズと同じサルディーニャ出身の女性歌手Elena Leddaの海風にはためくような哀愁を帯びた節回しを、彼女の音楽的パートナーであるMauro Palmas奏するMandolaのリフレインが浮き立たせ、Antonello Salisの線の細い(無機質ですらある)アコーディオンとPaolo Fresuのやはり体温の低いトランペットが交錯していく。中空に草木染めの色の帯が、幾筋もくるくると広げられていく印象。カウンター向かいの棚に移されたスピーカーSonus Faber Minimaが壁面に幻を投影する。この盤はもともとサウンドトラックで、元の映画は古いモノクロの記録フィルムを編集した作品なのだが、そこに映し出される人々のいきいきとした表情が思い浮かぶ(断片をyoutubeで観ることができる)。インプロ・パートに続く民族楽器ラウネダスの倍音を空高く噴き上げる豊穣極まりない響きも絶品。

 サルディーニャの男声合唱のパートに入ったところで、持参したElena LeddaとSavina Yannatouの共演盤「Tutti Baci」(Resistencia)をご披露。二人の絡みがため息モノの3曲目を聴いていただく。声の上澄みを鋭く研ぎすませたサヴィーナに対し、息の押し引き、声の揺らぎを巧みに操るエレーナ。二人の声がゆったりと空間に軌跡を描いていく様に見とれてしまう。受けたので調子に乗って、Donnisulana「Per Agata」(Silex)を紹介する。女声によるコルシカン・ポリフォニー。仏Silex後期の隠れ名盤。続いてサルディーニャに戻り、「Voces de Sardinna」(Winter&Winter)第1集と第2集を。響きの「濃さ」に多田さんの耳がたちまち食いつく。前者が民衆歌で後者が宗教曲なのだが、息遣いの重さ/長さは共通。民族文化の層の分厚さがひしひしと感じられる。‥‥と言いながら、宗教曲のフレーズの動きの細部や音の積み重なりは、まさに教会音楽なのだが。でもたくましい濁りを含んだ声音の強靭さは、まさに日々の生活に根ざしたもの。先の記録フィルムにとらえられた糸を紡ぐ女たちのきびきびした動きが思い出される。

 ここで原田さんの提案で、再びPaolo Fresu「Mistico Mediterraneo」を聴き返してみる。最初はやや薄味の地中海風味としか感じられなかったコーラスに、シンガーズ・アンリミテッド的な洒脱なスウィング感が潜んでいるのに気づく。逆にそちらに耳の焦点を合わせると、地中海の香りがふんだんに立ちのぼる仕掛けになっているわけだ。フレズのトランペットのクールな輪郭が声の熱い力を引き立てているのも見えてくる。サックスだったらもっと渾然一体溶け合ってしまって、こうは行かなかったろう。「洗練されているが、弱くはなっていない」との原田さんのご指摘にも納得。これもECMならではのサウンドのブレンドの妙。つまりはアイヒャー・マジックか。

 改めて名匠の技の冴えに感心したところで多田さんに送っていただく。束の間の音の旅路。複数の耳で聴き返すことにより、聴きなれた音盤でも必ず新たな発見がある。それがすぐれた作品であればあるほど、底知れぬ奥深さを秘めている。おなじひとときを共有することにより、むしろ体験は単一化されるのではなく、互いの視点や感覚の差異を通じて多面化/多焦点化され、深められていく。今から思い返しても、本当にあったのか疑わしくなる、幻にも似た不思議な時間。ゆったりとした時の流れの感覚とは裏腹に、耳を中心に感覚は研ぎ澄まされ、サウンドを高速でプロセッシングしていたのだろう。その体験の豊かさ/情報量の多さが、通常の「思い出」の許容量を超え出てしまい、「あり得ない記憶」と感じられてしまうのではないだろうか。


※4月からブログでのディスク・レヴューを解禁していこうと考えています。
 と言っても「お買い物日記」的なものではなく、定期的な新譜リサーチの
 結果としての推薦盤レヴュー(定期的)と、不定期のテーマに沿った旧作
 のレヴューにしようかなと。
 今回は初回特別篇ということで、Bibliotheca Mtatsmindaナイト・ツアー
 の模様を編集採録してみました。



Paolo Fresu / Mistico Mediterraneo (ECM)
  

A Filetta Corsican Voices


Polo Fresu / Sonos E Memoria (ACT)


Savina Yannatou&Elena Ledda / Tutti Boci (Resistencia)


Donnisulana / Per Agata (Silex/Auvidis)


Voces de Sadinna 1
Tenore de Orosei / Amore Profundhu (Winter&Winter)


Voches de Sardinna 2
Cuncordu de Orosei / Miserere (Winter&Winter)

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