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文化横断的変異「民俗音楽」探求 その2 スペイン(補足)  Transcultural Mutated "Folk Music" Research Vol.2 Spain(supplement)

  1. 2013/07/31(水) 23:04:22|
  2. ディスク・レヴュー|
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  4. コメント:0
 さて前回に続くTMFMRスペイン篇はよりポップなアプローチからセファルディを経て、さらにその先まで。



Luar Na Lubre / Hai Un Paraiso
Warner Music Spain 5046728862
試聴:http://www.youtube.com/watch?v=r42ULPgXHW8
 ガリシア出身の彼らはマイク・オールドフィールドに見出されて世界へと羽ばたいた。スペイン発ケルト・ミュージックというイメージ戦略にふさわしく、ヴィデオ・クリップでも奥深い森が映し出される(グループ名もガリシア語で「ドルイドの魔法の森の月の光」の意とのこと)。ここで彼らを採りあげたのは、もちろん高速ユニゾンと音色配合のマジックを巧みに織り上げた楽曲/サウンドの完成度の高さもさることながら、これまで本企画で採りあげてきた作品群と「ケルト・ミュージック」における変容のあり方の違いに触れておきたいからだ。後者においては起源から現在に至る文化形成力の交錯を意識に上らせることなく、そこにアナクロニックな(直線的な時間の流れをかき乱すという意味で「時代錯誤」的な)想像力を働かせる余地もなく、ケルト文化の確立されたアイデンティティに基づく様々な物語(そこでは移民や巡礼といった「移動」が特権視され、文化の変容/形成というよりは伝播/浸透と見なされる)が引用され、特徴的な音色構築とダンサブルなドライヴ感を前面に押し立てながら、決してそれを脅かすことのない範囲内で、他の音楽の要素との自在な「異種交配」が図られる。こう書き記しながら私はChieftainsを思い浮かべているのだが、これは続く『Saudade』でスペインから南米への移民を採りあげ、彼の地の有名ミュージシャンを多数ゲストに迎えることになるLuar Na Lubreにもそのまま当てはまるだろう。あるいはサウンド的にも制作時期的にも共通点の多いKila『Luna Park』(2002年)あたりを想起していただいた方がいいかもしれない。いずれにしてもそこには、自己探求の道筋が決して自己解体には至らないよう、しっかりと安全装置が仕掛けられている。様々な変容は(マーケティングへの志向を含め)常に意図した結果であり、意識や記憶を掘り下げていったら、あるいは集団作業による試行錯誤を繰り返していったら、とんでもないところへ出てしまったという驚きはない。そこには言わば「無意識」が存在しないのだ。2004年作品。
 ちなみに今回音盤をチェックしていて気づいたのだが、前掲の試聴トラック(本作品の冒頭を飾る表題曲)は作曲クレジットがされているが、歌メロ部分はNa Lua『A Estrela De Maio』(1987年)の冒頭曲「Maio」(「Tradicional」とクレジットされている)と同一と思われる。下記の試聴トラックで各自お確かめいただきたい。こちらの鄙びたアレンジに対し、Luar Na Lubreヴァージョンのセールス・ポイントは新たに付け加えられた甲高いケルト音色を活かした高速ユニゾン部分にあるわけだから、それをパクリなどと言うつもりはないが。
http://www.youtube.com/watch?v=0doA0iU2bUs


Mercedes Peon / Siha
Discmedi DM4325
試聴:http://www.youtube.com/watch?v=o3-MmM2nvTg
 ポップなアプローチから選んだもう1枚は、爆発的に強靭な声の使い手Mercedes Peonの3作目。ソングを歌うことを超えた声の表現領域の拡大というとCathy Berberian, Joan La Barbara, Meredith Monkといった系譜が浮かぶが、声のフィジカルを隙なく鍛え上げ、ありとあらゆるタブーを葬り去って、均質な領土を拡大していく彼女たちに対し、Christoph AndersやArto Lindsayのようなむしろ声の身体の不自由さを剥き出しにしながらオブジェ化し、電子操作にも進んで身を委ねるポスト・パンクな者たちがいる。Mercedes Peonは明らかに後者に属する。彼女は伝統音楽を歌う声が様式化(そこには比類なき強度も超絶技巧もまた含まれる)により身に纏う鎧を脱ぎ捨て、声の裸身をさらすことから演奏を始める。プログラミングされた電子ノイズや先を争い加速するアンサンブルが声を襲い、その肌を容赦なく傷つける。鮮血を滴らせながら彼女はその場に立ち尽くし続ける。自らの身体を依代として儀式を成就させるために。張り上げられた声の突き刺すような強度が素晴らしい。2007年作品。


Aurora Moreno / Aynadamar
Saga MSD-4002
試聴:http://www.amazon.com/Aynadamar-La-Fuente-Las-Lágrimas/dp/B00B7KZE76
 スペイン産セファルディ音楽(地中海ユダヤ音楽)からはまずこれを。Rosa ZaragozaやLena Rothenstein等、同じジャンルにはかなりコブシの回る濃厚な歌唱も見られる中で、彼女の歌い回しはエキゾティシズムを存分に香らせながらもポップな洗練に至っており、前回言及したLuis Delgadoの参加による空間的なサウンド構築と見事に調和している。言わばNWが煮詰まったロックのサウンドを再構築して見通しよく整理したように、ここでも民俗音楽のサウンドがエレクトリック化を含め、巧みに再構築され、冷ややかな透明性を確保している。DelgadoにとってはFinis Africaeの活動とも並行する時期であることを指摘しておこう。1988年作品。


Aman Aman / Musica I Cants Sefardis D'Orient I Occident
Galileo GMC017
試聴:http://www.galileo-mc.de/galileo-mc/cd.php?formatid=762
   http://elsurrecords.com/2013/05/05/aman-aman-musica-i-cants-sefardis-dorient-i-occident/
 L'Ham De Focの核であるEfren LopezとMara Arandaによるセファルディ音楽プロジェクト。コブシやうねりといった情熱系の濃密さよりも、緻密に構築されたアンサンブルが卓越するのはL'Ham De Focと同様。特に電化されたセファルディが演歌的な「ノリ」一色に染め上げられてしまいがちなのに対し、彼らは徹底してアコースティックにこだわり、古楽にも目配りしながら、細密な響きのタピストリーを織り上げていく。ウードによるしなやかな刻み、ケマンチェの弦のたわみ、打楽器の皮の震えと細やかな切れ込み、カヴァルの息のかすれ、カーヌーンやサントゥールの金属弦のきらめきが四方八方へと走り抜け、あるいはもつれながら高い天井に向けて倍音をたちのぼらせていく様は、ため息が出るほどに素晴らしい。Maraの声もまた幾分か飛翔を抑え、敏捷にステップを踏むようにして、この曲がりくねった回廊を鮮やかに、また軽やかに駆け抜けていく。その高潔さを「学究的」な硬直と勘違いする者がいるが、それは単に耳が腐っているのだ。2006年作品。


L'Ham De Foc / Cor De Porc
Galileo GMC010
試聴:http://www.galileo-mc.de/galileo-mc/cd.php?formatid=496
   http://elsurrecords.com/2013/04/21/lham-de-foc-cor-de-porc/
 『豚の心』と題された彼らの3作目。Efren LopezとMara Arandaを中心としてスペイン東岸ヴァレンシアで結成された彼らは、カタルーニャからフランス、イタリアへ至る地中海沿岸西欧文化、ギリシャからトルコに至る東欧あるいはビザンチン文化、北アフリカからアラビア半島に至るアラブ文化の3つの文化的源泉からの影響の混合体として自らをとらえていると言う。彼らが針の穴を通すような高度な演奏技術を駆使して、金糸銀糸をふんだんに織り込んで描き上げた細密にして絢爛たる音絵巻は、緻密さがそのまま強度として開花するという希有な水準に至っている。通常、ヨーロッパ対北アフリカ、あるいはヨーロッパ対アラブと二項対立でとらえられがちな地中海文化を、先に掲げた三項の相互作用としてとらえることが、生成のプロセスへの立体的な複眼視をもたらしているのではないか。Efren Lopez のギリシャでの研鑽とギリシャ人ミュージシャンのゲスト参加が豊かな実りをもたらしている。2005年作品。


Mara Aranda & Solatge / Deria
Galileo GMC033
試聴:http://www.galileo-mc.de/galileo-mc/cd.php?formatid=1395
   http://elsurrecords.com/2013/05/05/mara-aranda-solatge-deris/
 Mara Arandaの参加した前述のL'Ham De FocやAman Amanと本作の違いは、単にEfren Lopezの不在というだけでなく、前者が精緻なアンサンブルを重視し、針の穴を通すような完璧な技巧で眼にも絢な響きのタペストリーを編み上げていくのに対し、こちらは各演奏者/楽器に思い切り自由なスペースを与え、縦横無尽にプレーさせることにある。求心的・集中的な前者に対し、拡散的・放射的な後者。あるいはスペインの組織的サッカーに対する南米の個人技。それにしてもこれはスゴイ。破綻するギリギリまで弾き込み溢れ出す倍音の暴れを乗りこなすコントラバスと拮抗し、いつになく表情豊かに朗々と響き渡るヴォイスに、ヴィエル・ア・ルーのかきむしるような持続音とケルティック・ハープの線刻が重ねられ、打楽器の一撃をきっかけに堰を切って滔々と流れ出す。充分なスペースを与えられた音たちは、大海原に漕ぎ出すように自在に空間を渡り、滲み広がり、重なり溶け合って、眩いばかりの多様な色彩の交響をつくりだす。2009年作品。


Francisco Curto / La Guerra Civil Espanola (y sus origenes)
Le Chant De Monde LDX 74546
試聴:http://www.youtube.com/watch?v=fTOXRN9WIZ0
 今回の最後を締めくくるのは、Le Chant De Mondeの「世界の新しい歌手たち」(Le Nouveau Chansonnier International)からの1枚。スペインからの亡命を余儀なくされたLluis Llachの活躍の舞台となったのもこのシリーズ。そして私がLluis LlachやColette Magny、Francisco Curtoらの名と声を知ったのは、Vladimir Vissotsukiの名前に惹かれて手に入れた、このシリーズからの日本抜粋編集盤『帰らぬ兵士の夢』だった。本作はスペイン内線のさなか、人民戦線側で平和への願いを込めて歌われた曲をFrancisco Curto自身が構成したもの。反戦フォークというとギターを掻き鳴らしてがなるだけといった悪しきイメージが浮かぶかもしれないが、本作には孤高ともいうべき叙情が溢れている。簡潔に切り立ったギターの調べとどこまでも深く澄み切った哀しみをたたえた歌声、そして落ち着いた語りの背後でチェロがゆるやかに奏でるJ.S.バッハ。ジャケットを飾るアントニオ・ガルヴェスの写真も素晴らしい。1974年作品。

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