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チョン・ウンヘ「Absence of space − time passes without of sound」 展@INSAアート・センター  Jun Eunhee Solo Exhibition “Absence of space − time passes without of sound” at INSA art center, Seoul, Korea

  1. 2012/03/18(日) 18:42:20|
  2. アート|
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 昨年末のソウル滞在時に見た絵画展について書いてみたい。観光客で混雑するインサドン(仁茶洞)の通りに面して立つ INSAアート・センターは、その名の通り、ギャラリーとして展示に専念することにしたようだ(一時はスーベニール・ショップも展開していた記憶がある)。古くからの文化的記憶を持ち、陶磁器や書画、家具等の骨董を扱う店も多いこの周辺で、耕仁美術館とともに気軽に立ち寄れるスポットでもある。

 今回の訪問時には、各階で5つほどの展示が開催されていたのだが、最も印象に残ったのがこの「Absence of space – time passes without of sound」展だった。だが、どこに惹かれたのか自分でもよくわからず、語るべき言葉を持たなかった。そのため、これらの作品について書くことがなかったのだが、前回、ピラネージを巡っていろいろ考えを巡らすなかで、記憶の隅に埋もれかけていた本展に改めて想いが届いた次第である。
 おとなしめの照明を施された空間に、油彩作品がひっそりと展示されている。幅1mを超す作品が多いにもかかわらず、圧迫感はなく、タイトル後半通りに静謐な印象。スペースの中央部分にトップライトを採りいれた「坪庭」的な造りの光庭があるため、その周囲を巡りながら、外周に架けられた絵を眺めることになる(展示作品数は全部で20点ほど)。
 今回、アーティスト名でウェブ検索したところ、うち9点の写真を入手することができた。以下、それを掲げながら論を進めよう。






 彼女の作品全体に共通するの静謐さは、画面を波立たせない静かな筆致や、ジョルジョ・モランディの静物画を思わせる平坦で均等なまぶしさのない光と外形/輪郭の処理(並べられた植木鉢を描いた作品等に顕著)のせいももちろんあるのだが、やはり何よりも画題の選択によるだろう。たとえば、最初に掲げた中央奥に白いドアのある作品では、枯れたツタの蔓が、そのドアがもう長いこと開けられていないことを示している。ドアに至るステップもまた枯葉に埋もれており、そこには風だけが伝う物悲しさが漂っている。かつては間違いなく人が往来し、暮らしてすらいたかもしれない場所が、いまや訪れる人もないままに放置されている。見捨てられたちっぽけな風景。だが、そこに廃墟へ向けられるロマンティシズム−畏敬や崇高−はない。ここにあるのはもっと別の小さく柔らかい感情だ。手前に描かれた模型飛行機はまだ色あせていない。にもかかわらず、そこから遊ぶ子どもたちの声は聞こえてきそうにない。おそらくこれは記憶の中に置き去られた光景だろう。いまここで鮮やかによみがえる記憶と、時間的にも空間的にも遠く離れた距離の彼方で朽ちていこうとしている場所(=ここにはない空間)。作者の分身は閉じられた白いドアの向こうで、じっと息を殺しているように思えてならない。






 続いて掲げた横長の2作品を見ると、朽ちかけた灰色の壁割れ目や窓から、向こう側の空間がのぞいていることに気づく。一方の作品では向こう側の空だけでなく緑も壁の上に見えているのだから、描かれた壁は中途半端な区切りに過ぎないのだが、それでも「向こう側」の空間をいったん切り離し遠ざけることにより、それは一層強く思いによみがえるとでも言うように、律儀に壁は描かれ続ける。窓のある作品では壁の手前に旧式のラジオが置かれていることに注意しよう。これは先の模型飛行機と類似した働き(個人的な生活の記憶との関係を示しながら、それを切り離し遠ざける。ここにはない空間として)を持つ記号と考えることができるだろう。




 その次に掲げた縦長の2作品でも、見る者の視線は、壁に穿たれた穴を通じて、あるいは左側の壁の開口部から差し込む光に導かれて、「向こう側」の空間へと誘われる。すぐそこにありながら、手の届かないもどかしさとともに。
 実のところ、この日に見ることのできた彼女の作品はすべて(ここに掲げるべき写真を入手できなかった作品を含めて)、見る者が思わず手を伸ばしたくなるような魅惑的な「向こう側」の空間を有していた。壁に設けられた窓や穿たれた穴、ドアや曲がり角のそのまた先に。それは先に述べたように記憶の「向こう側」でもあるだろう。




 次の2作品では珍しく色彩が浮かび上がっている。左の緑と右のピンク。右側の作品ではこれまた珍しくドアに樹木が影を落としている。パートカラーの夢。一瞬、ある感覚を手がかりにして鮮やかな記憶がよみがえる時の魔法の呪文。思わず眼に飛び込んできた色彩やちらつく影のざわめきが、無意識の引き金を引く。その時、音は視界から消え失せるだろう。




 最後に掲げた作品でも右端にドアの一部が描かれ、「向こう側」への通路は確保される。珍しく鮮やかな植木鉢の茶色は、壁の色で覆い隠される。記憶の中の植木鉢はこんなに鮮やかではなかった‥とでも言うように。それは記憶の距離がもたらす混濁/錯誤であるだろう。少なくとも照りつける陽射しが浮かび上がらせた素焼きの鮮やかさが、この光景を呼び覚ましたきっかけではなかったということだ。むしろそれは概念に×印を付けて抹消する行為に近いように思う。

 手元にある個展のカタログとウェブ上の写真を見ながら、ソウルでの時間の記憶を呼び覚ましつつ、ここまで書いてきたのだが、ひとつ思い出したことがある。冒頭に述べた展示スペースの説明のところで、中央に設けられた光庭について書いているが、一部ガラス張りのそのスペースの内部には、天窓から差し込む光の下、小さなベンチが置かれ、その傍らには、並んだ植木鉢を描いた(ここに掲出した作品とは別の)作品が展示されていた。そこは展示スペース本体から見れば半分室外であり、通常は展示には用いられない場所だろう。日がかげれば、彩度の低いおぼろな作品は薄闇の中に溶けてしまうことにもなる。にもかかわらず私には、それが彼女の作品にとてもふさわしい展示の仕方のように思われた。


 末尾ながら、がらんとしたギャラリーでしげしげと絵を見詰める日本人観光客を珍しく思ったのか(客は私と妻の二人だけだった)、立ち去り際にわざわざ呼び止め、個展のカタログをプレゼントしてくれたチョン・ウンへ(전은희)に感謝したい。

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