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ミシェル・ドネダの近作群について  Disc Reviews for recent CDs of Michel Doneda

  1. 2011/10/02(日) 21:33:25|
  2. ディスク・レヴュー|
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  4. コメント:0
 齋藤徹との共演というより、ぶつぶつとつぶやきながら歩き回る劇団員、建物の入り組んだ空間等、自らを取り巻く環境/外界との相互浸透をそのまま〈演奏〉した「春の旅01」(Scissors)の前人未到の達成をひとつの頂点として、その後も「Places dans l'air」(Potlatch)、「Strom」(Potlatch)、「Une Chance Pour l'Ombre」(Victo)等の優れた作品をリリースしながら、私にはどこかドネダが孤独を深めていくように感じられていた。それは息音の探求を通じて無名性の淵に身を沈めていく「Anatomie de Clef」(Potlatch)以降、「Sopranino/Radio」(Fringes)、「Montsegur」(Puffskydd)等に聴かれるソロ演奏がほとんど苦行にも似た禁欲的な厳しさを、ますますたたえるようになってきており(この傾向はクレジット上はトロンボーン奏者とのデュオ演奏ながら、事実上は風力発電用のプロペラの風切音へのドンキホーテ的挑戦である「Salsigne」(Puffskydd)へと、ついには至ることになる)、これに伴って共演者の顔ぶれもまた限定されてきているように思えたからである。「誰もドネダには付いていけないのではないか」、「このまま世捨て人のように〈行〉を続けていては、やがてわれわれは彼の演奏を聴く術を失ってしまうのではないか」と、当時、本気で心配していたことを思い出す。実際、少なくとも録音作品としては、2005年3作品、2006年4作品(うち2作品は日本制作)、2007年1作品と来て、2008年のリリース作品は、ついにゼロとなってしまったのだった。
 その後、2009年になって、エレクトロニクスと共演した「Dos d'Ane」(Ronda)、Rohdri DaviesやPhil Minton等、豪華メンバーによる「Midhopestones」(Another Timbre)がようやく届けられたが、かつての彼を聴き知る耳には、いささか精彩を欠き、影が薄いように感じられたことを白状しよう(無論、その背景には共演者たちがドネダの演奏感覚を共有していないことがある)。そうした不安を打ち破ってくれたのが2010年になってから聴き、ディスク・レヴューでも採りあげた「Le Terrier」(Monotype Records) や「Kirme」(Improtest)だった。前述の過酷な探求を通じて開かれた地平は、すでに熟成して自家薬籠中のものとなり、強度や鮮やかさをいや増しながら、突き詰めた息苦しさを和らげて、より生々しく(肉の手触り)、むしろ軽やかになった印象がある。ここでは、それに続く作品群をレヴューすることにより、彼の久方ぶりの来日を寿ぐこととしたい。




Tatsuya Nakatani, Michel Doneda / White Stone Black Lamp
(nakatani-kobo kobo-1)
Tatsuya Nakatani (percussion), Michel Doneda (soprano & sopranino saxophone)
 叩き、こすり、息を吹きかけ、ひっかき、撫で回す‥‥。中谷はマテリアルの表面に対し、〈触れる〉ことのスペクトルを端から端まで駆使して、猛烈果敢にアクトする。演奏のための身体各部の動作が、そのままマテリアルの表面で弾け、身体動作の軌跡と速度がそのまま空間に飛び散る。対してドネダもまた、リードの振動を鮮やかに突破し、鋭い息の流れを直接管の内壁にぶつけ、やはり乱流の軌跡と速度をそのまま空間に飛び散らせる。通常は倍音領域で繰り広げられるミクロな戦闘が、ここでは一気にマテリアル・レヴェルに引きずり下ろされ、乾燥した音の破片を互いに激しく打ち付けあう。打楽器/管楽器という発音原理の境界は鮮やかに消滅し、飛び交う粒子と表面の衝突/遭遇だけが耳を完膚なきまでに叩きのめす。ジャック・ライト(Jack Wright)を加えたフロム・ビトウィーン・トリオをはじめ、数々の共演を重ねてきたドネダと中谷ならではの〈直接性〉と速度/強度に溢れた交感。



Alessandra Rombora, Michel Doneda / Overdeveloped Pigeons
(CON-V CNVCD-2011)
Alessandra Rombora (flute, tiles & ceramic objects), Michel Doneda (soprano & sopranino saxophone, radio, objects)
 楽器の構造上、リードを有しないため、より直接的に管の空気にアクトできるフルートが、響きが管の内部に閉じ込められることにより減速を強いられ、ドネダの息音の切り裂くような強度に及ばないという逆説が当初明らかになるが、以降、ロンボラは懸命にも響きのにじみや希薄さを活用し、むしろ運動や速度よりも、周囲の空間の色合いや密度を操る戦略へと向かう。対してドネダもまた、時にリードを鳴らした音の質量や色合いの手触りを導入し、あるいはラジオを操作して、空間をより「中身の詰まった」雑色性のものへと変容しながら、彼との渡りをつける。そうした線から面、さらには空間の広がりへと至る交感と並行して、金属片を打ち付け、あるいはこすりあわせ、また陶片をかき混ぜる響きが、点から空間へと散布され、それらと交錯する。最後のトラックでは、後者の〈演奏〉が多くを占め、その結果、空間は極めて豊穣な、と同時に見通しの効かない混沌としたヘテロトピックなものへと至っている。


Michel Doneda , Jonas Kocher / Action Mecanique
(Flexion flex_001)
Michel Doneda (soprano & sopranino saxophone), Jonas Kocher (acoordion & objects)
 鋭く息をほとばしらせて沈黙の喉を掻き切り、管を絞るように軋ませて空間を縛りあげ、血のにじむ粘膜の震えやふつふつとたぎる唾液の泡立ちを拡大する。輪郭を持った声/響きに至る前に脆くも崩れ、揮発し、砕け散るドネダの「声のない」音響、速度そのものと化した気流の強度に対し、ヨナス・コッヒャーは蛇腹の底に沈殿しそうな低音のうごめきや、電子音を思わせる冷たく張り詰めた高音を、サウンド・インスタレーションのように空間に配置し、ドネダのアクションを冷静に浮かび上がらせる。途中、互いを切り刻むような寸断されたアクションの応酬(フリー・インプロヴィゼーションのひとつの定型)も聴かれるが、それもすぐに空間を励起する静謐な強度に場を明け渡す。圧倒的に過剰な力にさらされ、もはや限界を超えてぴりぴりと震えながら、そのような状況下で息と「ふいご」がこのようにひとつになり得るとは思っても見なかった。ドネダは理想的な共演者を新たに手に入れたと言えよう(年齢は親子ほどにも異なるが)。バルカンからトルコへと抜ける楽旅中、ブルガリアはソフィアにおけるひとコマ。サンドペーパーに刷られたアートな装丁も内容に似つかわしい。


Michel Doneda , Jonas Kocher, Christoph Schiller / /// Grape Skin
(Another Timbre at42)
Michel Doneda (soprano saxophone & radio), Jonas Kocher (acoordion & objects), Christoph Schiller (spinet & preparations)
 上記デュオにさらに一人を加えたトリオ。各演奏者の音は時に見分け難く、互いに互いを映し出しながら演奏は進められる。と言うより、ここで繰り広げられているのは、前もって存在する演奏者が互いに意見を述べ合ったり、剣を打ちつけあったりするような演奏ではない。むしろフットボールの試合で時折現れるあの奇跡的瞬間、ボールを巡る動き、パスを受ける動き、ゴールへと向かう動きが鮮やかに連動し、あらぬ方向に放たれたパスの行方に理想的なスペースが出現し、そこに先ほどまでは全く別のポジションにいたはずのプレーヤーが走りこんでいる‥‥に近い(あるいはアメーバや粘菌が見せる原形質の流動に)。その時眼前でまざまざと繰り広げられているのは、各プレーヤーとボールの動きというより、幾つにも分岐し渦巻く力の流動であり、いきなり顕現する意外性に満ちた運動の線の交錯/衝突であり、速度と濃度のまばゆい変容である。ふいごの漏らす吐息と管の内壁を擦れ合う気流と摩擦による金属弦の震えがひとつに溶け合ってたちこめる中から、霧にけぶる遠い山並みや、木漏れ陽のちらつきや、ふと振り返りそうなつぶやきや、遠くから吹いてくる風が姿を現す。彼らはフリー・インプロヴィゼーションにおいてはほとんど類例のないヘテロトピックな豊かさを、かつての「春の旅01」とは全く異なる仕方で達成して見せた。



【参考】

Jonas Kocher / Solo
(insubordinations insubcd03)
Jonas Kocher(accordion)
 ドネダとの素晴らしい共演作が2作続いている、若きアコーディオン奏者(1977年生まれ)のソロ第二作(エレクトロニクスを多用した第一作「Material」はCreative Sourcesから。ただし研ぎ澄まされた耳の強度は本作が遥かに上回る)は、スイスはベルンにおける「ズーム・イン」音楽祭の実況録音。冒頭、鳴り渡る鐘の音が会場にも浸透し、その豊かな響きを背景に演奏は始められる。本来、蛇腹の伸縮でつくりだした空気の流れでリードを鳴らすことを発音原理とする楽器が、ちょうどドネダが息音を奏するように、リードを震わせることなく、言わば〈風音〉だけで流れを生み出していく。それが響きを伴って不定形ににじんだ鐘の音と溶けあう時の美しさは実に見事なものだ。その後は、リードも鳴らしていくが、レーザー・ビームを思わせる高音の鋭さと水平な広がり、蛇腹の底にわだかまる地鳴りのような低音など、ちょうどRohdri Daviesがハープを取り扱ったのと同じ眼差しの下、アコーディオンを複雑に入り組んだ発音/共鳴体の集積と見なし、解剖学的に音響をピックアップし、アセンブルしていく。電子音楽的な音色/空間構築と、さらにそれをドライヴしていくパフォーマティヴな身体アクションの連鎖。特殊奏法にのみ耽溺したり、いわゆる「音響」へと痩せ細る(その時、それとは裏腹にコンセプトはでっぷりと太っていくのだが)のではなく、その場を果敢に蹴立てていく一瞬ごとの〈覚悟〉(それこそが即興演奏を根っこで支えるものにほかなるまい)を評価したい。
 なお、another timbreのサイトで、「/// Grape Skin」に関する彼へのインタヴューを読むことができる(http://www.anothertimbre.com/page89.html)。


【再録】
Michel Doneda, Olivier Toulemonde, Nicolas Desmarchelier / Le Terrier
(Monotype Records mono028)
Michel Doneda (soprano & sopranino saxophone), Olivier Toulemonde (amplified objects), Nicolas Desmarchelier (acoustic guitar)
 筆と紙が触れ合うその一点で、穂先の運動と紙の抵抗とがせめぎあう。速度と力戦の変化に応じて、穂先を構成する毛の一本一本が流れ渦巻き散り乱れながら、墨の粘性とそこから分離する水の浸透と絡みあって、どっぷりと太く重く、あるいは軽やかに弾みさざめいて、かすれ、にじみ、揺らめき波打って、黒々と(あるいは淡々と)した軌跡を残す。
 本作において、Toulemondeが奏するamplified objectの多くは、テーブルに物をこすりつける音をコンタクト・マイクで兼備行的に増幅したものであり、リズミックなリフよりも、常に変化し続けるざらざらとした肌理と接地面で交錯/衝突する多様な力動の手応えを、サウンドに提供している。Desmarchelierのアコースティック・ギターが生み出すのも、楽器各部が擦られ打たれた結果としての擦過音にほかならない(時折ミュートされた弦へのアタックが聴かれるものの)。そしてDonedaが主に奏でるのも、まさに管と息の、あるいは口腔と呼気の流れの摩擦が引き起こす気息音であり、これら三者がミクロな肌理/粒立ちの次元から、筆の運びが残すマクロな墨跡の次元まで、様々に干渉しあいながら表情豊かな音景を描きあげる。Toulemondeが専ら接地面に張り付き、サウンドの微細な突起や起伏を指先で探るのに対し、Donedaは息の特性を活かし、必要に応じて響きに希薄なふくらみをもたせるため、演奏はモノクロームな視界におけるマイクロスコピックなノイズの交感から、吊るされて微風に揺らめく紙に走らせる筆先/墨跡が、紙を織り成す繊維の交錯をその都度照らし出す場面まで、尺度の階層を自在に飛び移りながら進められる。少なくとも音盤に限っては、「春の旅01」以降、共演者に恵まれなかった感のあるDoneda(この間の彼の演奏の凄絶な道行きを思えばそれもまた有り得べきことではあるが)からの、久しぶりのうれしい便りである。【「ユリシーズ」4号掲載のディスク・レヴューより抜粋】


Michel Doneda, Taavi Kerikmae / Kirme
(Improtest Records IMPRTCD03)
Michel Doneda (saxophone), Taavi Kerikmae (piano)
2008年と2009年のいずれもエストニアでの共演を収める。Doneda の変幻自在の息音に対し、ピアノ弦に直接アクトして同種のサウンドを即時に引き出してみせる Kerikmae という前者における交感は、後者でさらに熟成を深め、いったんフリー・ジャズ的な音の身体の衝突(張り手を飛ばしあうような)を経由して、いきなり未踏の境地に向かう。断ち切るような鋭利な気息に応ずるは傾いだ船のみしみしという軋み。その後もピアノとは思えぬ軟体動物的な音響(ピアノ弦を直接素手で操っているようだ)が、世界をぐにゃりと歪ませ傾けていく。幾度となく沈黙をさしはさみながら、自らの足場を崩し傾けて、二人は一切の視覚的パースペクティヴを欠いたまま内臓感覚へと下降し、聴く者の身体の深層を疼かせる。【「2010年ベスト30」(musicircus掲載)より抜粋】








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