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フランシスコ・ロペス賛江 Homage to Francisco Lopez

  1. 2011/08/10(水) 23:54:30|
  2. 音楽情報|
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 7月22日の記事「生成音楽ワークショップのサイト完成!」で、「ホントはぜひ参加したいんだけどな‥(T_T)うぅ」と書いたフランシスコ・ロペスのワークショップ@東京芸大に受講者として参加することになりました。当初は「無理‥」とあきらめていたのだけれど、月光茶房店主の原田さんから「申し込みました」との知らせを受け、どうしてもあきらめきれずに申し込み期限の7月29日夜に東京芸大のページをのぞくと、何と期限が1週間延長されているではないですか。「これは神の思し召しに違いない」と信じ込んだ私は家族を説得し、何とか申し込みに漕ぎ着けたというわけです。


 ちなみに「The World as Instrument」と名づけられたロペスのワークショップの内容は次の通り。

 2011年9月5日から9日までの5日間にわたり、東京芸術大学公開講座としてサウンド・アーティスト、実験音楽家のフランシスコ・ロペスが主催するワークショップ「The World as Instrument(楽器としての世界)」を開催します。環境音を録音して鑑賞する、または音楽や美術制作に素材として使用する、「フィールド・レコーディング」の理論を学ぶワークショップです。この手法は写真のようにごく手軽に始められますが、その先に奥深い技術・知識・思想が広がっています。
 ロペスがすでに世界各国で開催してきたこのワークショップでは、膨大な音のサンプルとディスカッションを通じて、参加者をフィールド・レコーディングの世界に招待します。また締めくくりには暗闇のライブ・パフォーマンスでこの世界の深部を体験させてくれるでしょう。
以上 生成音楽ワークショップのサイト(http://generativemusicworkshop.wordpress.com/)から転載。


 平日5日間連続ということで、社会人にはハードルが高いだろうから、やはり学生の参加が多いのかな。とすると原田さんと私の50代コンビは最年長かも。いやいや、何しろ相手がフランシスコ・ロペスだから、百歳超えの「音響仙人」が山から降りてきたりとか、「戦前、ボルネオやスマトラのジャングルを、重いテープレコーダー背負って調査した」っていう大老とか参加してきたりして‥。んなわけないか。


 閑話休題。ここでフランシスコ・ロペスの来日を祝すとともに、ワークショップ参加記念ということで、今後、何回かに渡り(断続的になるかもしれないけど)、彼の紹介を試みたいと思います。本来なら、もっと早くから始めれば良かったんだけど、そこはそれ、注目度を高めてワークショップ申込者が増えて競争率が上がり、自分が参加できなくなったらどうしよう‥と心配したりして、踏ん切りがつきませんでした。小心者の私をどうかお許しください。
 ということで1回目です。


 もともと私がロペスの名前を知ったのは、おそらく「ポスト・テクノ(ロジー)・ミュージック」(2001年)に収められた佐々木敦「『サイレンス』の解析−『小文字の音』を巡って」だったのではないだろうか。そこで佐々木はロウアーケース・ミュージック(弱音系音楽?)を、バーナード・ギュンターとフランシスコ・ロペスを嚆矢とするとして解説しており、ロペスの作品については「なかばドローンと化した空間的な音響が次第に音量を変化させつつ延々と続いていくというパターン」と「全編を通じてほとんどまったく何も聴き取れないというパターン」に大別し、後者についてはそれをジョン・ケージ「4分33秒」(出たよ‥)、アンビエント・ミュージック、エンヴァイロメンタル・ミュージック等を背景としたコンセプチュアルなものととらえている。そして、ロペスの作品のヘッドフォン聴取について「(作品の)大部分でリスナーが聴くことになるのはおそらく、単なる『無音』に限りなく近い状態であって、そこに何らかの観念的な意義でも見出さない限りは、鑑賞に値するとは言えない(もっともロペスが文字どおりの『無音=空虚』に没入する、という一種、倒錯的な行為を自らの作品の鑑賞の範疇として認めている可能性もないとは言えないのだが)。」と、「あ・あのな‥」と思わず突っ込みたくなるトンデモな説明に至る。まあ、音数が極端に少なかったり、音が極端に小さい演奏/作品に対し、ケージやら実験音楽やらを持ち出して、何やら象徴的な価値をそこに付与するという身振りは、いまや小島よしおの「そんなのカンケイねー」と同じくらいどーでもいい話なので、ここでは突っ込むことさえしないのだが、要はこうした不幸な「出会い」により、結局、当時の私はロペスの作品と出会い損ねてしまうことになる。どうした経緯だったか、ともかく「La Selva」を入手したのだが、そこから聴こえてきたのは熱帯雨林の自然音であって、観念的な「無音」などではなかった。あらかじめ植えつけられた先入観との食い違いにとまどいながらも、私の耳は、この不可思議な音の広がりに、どこかで惹きつけられていた。貴重な自然の記録(野性のアルバム!)という手つきとは異なり、「サウンドスケープ」と呼ばれたりもする「音の絵ハガキ」とも違い、ましてやエキゾティックな音の「芳香剤」などではありえない、何物ともつかぬ音の強度に。
 そうしてよくわからぬまま棚に仕舞い込んだCD(決して売り飛ばそうと思わなかったのは、やはり「ここには何かある」という気がしたからに違いあるまい)を、改めて取り出してしげしげと見詰め直したのは、金子智太郎・虹釜太郎による「アンビエント・リサーチ」の第2回がロペスを特集した時だった。



「The World as Instrument」のイメージ
世界をとらえる機械の知覚



フランシスコ・ロペス
彼のライヴでは、目隠しにより視覚を遮ることが求められる。



Francisco Lopez / La Selva
コスタリカの熱帯雨林のフィールドレコーディング

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