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私にとってディスク・レヴューとは(承前) What Is Disk Review for Me (continued)

  1. 2011/07/06(水) 00:21:58|
  2. ディスク・レヴュー|
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4.聴覚テクストの特性と〈複数の言葉〉
 もともと文字テクストや、写真や映画等の視覚テクストに比べ、聴覚テクストははるかにそのイメージを確定しがたい。と同時に、この曖昧さが〈聴くこと〉の豊かさを生んでいることも事実である。〈聴くこと〉を深めるためには、この曖昧さへの対応がカギとなる。 
 「人それぞれだから‥」とこの曖昧さをそのままに放置するのでは、〈聴くこと〉は決して深まらない。こうした姿勢は、一見、〈聴くこと〉の多様性を認めているように思われがちだが、実際にはその多くはテクストの単一性を疑うことなく、その感情的消費の仕方が「人それぞれ」と言っているに過ぎない。J−POPによく見られる歌詞しか分析しない批評は、この典型である。
 作品を制作したアーティスト(ミュージシャンやプロデューサー等)のインタヴュー等に読み取れる〈意図〉に、テクストを還元してしまうのも、むしろ曖昧さに耐え切れず、貧しさを選択してしまう姿勢と言えるだろう。別に〈意図〉を無視しろとか、脱構築(あるいは「裏目読み」でも何でもよい)しろと言っているわけではない。〈意図〉に還元できない豊かさに注目すべきだというに過ぎない。これは以前にレクチャー「耳の枠はずし」でも、あるいは「ユリシーズ」3号掲載の「〈聴くこと〉をいま/ここから始めるために」でも述べたことだが、演奏者のアクションや〈ネタ〉に還元するのも同様である(後者は〈意図〉から演奏者の権威を切り下げたものとしてとらえることができる)。

 輪郭を見定め難い聴覚テクストの曖昧な厚みに、批評の言葉が深くメスを入れる。その切り口/断面に触発された言葉が、また別の角度から深くゾンデを挿し込む。そうした道中において、別の地点から深く深く掘り進めた一群と出会うこともあるだろう。差し入れられた鋭い刃物の切っ先が脈絡を切り出し、ゾンデや探査針が同じ一つの〈核心〉を探り当てる。そうしたプロセスを通じて、言葉が、聴取体験が新たに組み替えられ、再構成され、改めて共有され、リサイクルされる。〈聴くこと〉はおそらくそのようにして深められる。それは言葉で音や響きを囲い込むことではなく、むしろ多様な聴き方に向け、開いていくことにほかならない。
 現代都市のアジールであり、また〈交通空間〉であるべきカフェ・スペースにおいて、そのような〈複数の言葉〉が切り結ぶ様を思い浮かべ、レクチャーでは、まず偉大な先達たる清水俊彦が遺した言葉を採りあげた。それに続く「ECMカフェ」、「純喫茶ECM」、「アンビエント・リサーチ」、「四谷ティー・パーティ」など様々な機会を通じて、多くの聴き手と語り合うことにより、たとえば〈音響〉以前/以後のインプロヴァイズド・ミュージックを、ECMレーベルの諸作品を、アンビエント/ドローン/フィールドレコーディングを、NYダウンタウンの先端ジャズを語る言葉が、不思議な符合を示すかのように通底し、まったく異なる視点から放たれた指摘が、実は同じ手触りを指し示していることにふと気がついて、何度驚いたことか。そうした体験の一部は、このブログでも報告してきた通りである。

 そうした地点から振り返れば、同様の仕方で視覚テクストや文字テクストに向かうことも可能だろう。たとえば映画を論ずる際に、「物語への従属から映像固有の力を解き放つ」とするのはいいとして、特権化された画面/表層に映っているもの、見えている(はずの)ものは、果たして本当に我々が見ているものなのだろうか。〈見えているもの〉と〈見ているもの〉は異なる。映画の力が、むしろ〈見えているもの〉を別の仕方で〈見せる〉ことにあるのだとすれば(ヒッチコックがミルクのグラスに豆電球を仕込み、怪しく輝かせたことを思い出そう)、PCにDVDをセットし、クリックを繰り返して寸刻みに画面を停止させ、そこに映っているものを記述する仕方から、本当に動く映像の力を、不可思議な運動/変形の感覚をとらえることができるだろうか。サウンドの聴取において(サウンドを楽譜の不完全な再現と見なさなければだが)、常に問題になる「我々はいったい何を聴いているのか」は、視覚テクストにおいてもやはり重要な問題となり得るだろう。

 フランシスコ・ロペス「ラ・セルヴァ」において提示される、熱帯密林のフィールドレコーディングによる過剰な音響のオール・オーヴァーな広がりに、聴覚が対象を定め、耳の焦点を結ぶことができずうろたえる様を、たとえばスタン・ブラッケージの映像と比べてみること。あるいはジル・オーブリーの作品において、やはり街頭録音を素材とした厚い壁を通してしみこんでくる得体の知れない音響に対し、やはり耳が焦点を結ぶことができず、つかみどころのないもやもやとした暗騒音と向かい合いながら、交通ノイズや子どもの声が対象化の網の目をすり抜けて、否応なく「内部」へと入り込んでくる様を‥‥。


5.ディスク・レヴューの枠組み

 以上のことを踏まえ、ブログで掲載するディスク・レヴューでは、次のことを心がけている。

(1)定期的な新譜レヴューを基本とすること

 特定のシーンやアーティストを採りあげ、それに対する解説や批評を、ディスク・レヴューを中心に構成することはできるが、それはこれまでにブログでもやっている。今までブログでやってこなかったのは、むしろ定期的な新譜レヴューという最もスタンダードなかたちだ。それには理由があって、私にとってディスクを聴くことは〈日常〉に属しており、外部からの依頼による強制的な切断を経ないと、それを新譜レヴューのかたちに切り出せないできた。そこに挑戦してみようということがまずある。同時にそれは、新譜レヴューという流通可能な〈基本形〉において、ディスク・レヴューの可能性を問うことでもある。

(2)流通しやすい文章表現・文章量とすること

 これは(1)とセットの条件。とりあえずの枠組みではあるが、「ユリシーズ」のディスク・レヴューの規格だった「7作品で3500字」をひとつの目安にしている。ただし、アーティスト名、作品タイトル、レーベル名、演奏者クレジット等のデータについては字数に含めていない。「1作品あたり500字」は雑誌掲載の新譜レヴューとしてはかなり文字数が多い方である。と言いながら、ジャンル分け等によらずにサウンドを分析描写しようとすると、実際には文字数など幾らあっても足りない。そこで表現を折りたたんで圧縮することを余儀なくされるのだが、サウンドの与える印象が〈瞬間的〉なものであることを思えば、これはかえって妥当な方法と言えるだろう。私にとってディスク・レヴューの評文は韻文というか、短詩系の文章に属するようなところがある。

(3)作品の可能性の中心を採りあげること

いろいろとディスクを聴き漁る日常を文章化する方法もあるが、個人的にはつまらなかった作品のことは書きたくない(むしろそうした情報の方が実用性はあるのかもしれないが)。あくまでも聴くだけの価値のある作品を厳選して紹介するというスタンスは保ちたい。また、かつてのように特定のシーンやアーティストに定点観測的に注目していれば、そこから何かを発見できる時代は終わったように思う。それは作品を単独で語ることが力を持ちにくくなったということでもある。
 これは「ユリシーズ」でもしていたことだが、ジャンルや演奏者の出自から言えば離れている作品を結びつけることにより見えてくるものを語る方式を採用している。用意した論点が先にあって、そこに作品をむりやり当てはめていると思われるかもしれないが、実際にはレヴュー対象作品の選定が先である。ただ、最初聴いた時にピンと来なかった作品が、別の作品を聴いているうちに全く別の姿で立ち上がってくることがある。

(4)聴覚テクストと言葉の関わりを示すこと

 先に聴いていることの特権などもはやない中で、ディスク・レヴューが存在意義を持つためには、作品を聴いた後でも読む価値のある批評であることが必要だ。一例を挙げれば、レヴューを読むことによって、作品の聴き方、サウンドの聞こえ方が違ってくるような。そのためできるだけ試聴用の音源を示すようにした。実際に聴いてもらった方が、評文がサウンドのどこをどうとらえているかもわかるだろうし、当然のことながらオルタナティヴな視点や評価の提出もしやすいだろう。
  批評の根拠を示す場合、文字テクストなら該当箇所を引用し、これにコメントを加える。視覚テクストの場合もスティル写真を掲載するほか、そこに映っているものを描写し、引用に代える。聴覚テクストの場合、これは難しい。サウンドを描写することはできるが、それはすでに濃厚に書き手の主観性を帯びてしまうからだ。だから、聴覚テクストに関する場合、対象を描写した時から、それがいかにニュートラルに見えたとしても、それは分析や評価に基づいたものであり、すでに批評は発動しているのだ。試聴用の音源を併置することで、もちろん対象のニュートラルな姿を示せるなどとは思わない。しかし、描写がすでに担ってしまっている評価の発動ぶりを明らかにすることはできるだろう。そう考えた次第である。


ヒッチコックが仕込んだ
怪しく輝くミルクのグラス



スタン・ブラッケージ作品から
フィルムへの素材の貼り付けによる



同じくスタン・ブラッケージ作品から



スタン・ブラッケージの代表作
「ドッグ・スター・マン」
世界を撫で回すカメラ

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