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心霊写真的想像力 − フランシス・ベーコン展レヴュー  Spirit Photographic Imagination − Review for Exhibition of Francis Bacon

  1. 2013/06/29(土) 22:07:20|
  2. アート|
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 しばらく前に観たフランシス・ベーコン展について、簡単に印象を記しておきたい。





 ベーコンはずっと「気になる」画家だった。決して「好き」とは言えないが、いったん作品を眼にしてしまえば、そこから視線をそらすことができず、思考を強烈に触発して止まない。だから、一度、現物を観てみたいとずっと思っていた。

 実際に作品と向かい合った印象は、まったく予想外のものだった。あの視線を絡めとり、脳髄を縛り上げる「肉の赤」が、画集に収められた印刷ほどにはこちらに迫ってこないのだ。理由のひとつは作品にはめられた展示用ガラスの透過性や反射、すなわち「透明な」夾雑物がもたらす「距離」あるいは「隔離」の感覚にあるのは明らかだ。ここで夾雑物が明瞭に視界を遮るようなマテリアルなものであれば、それは隠された部分へと向かう視覚を強烈に喚起し、むしろ画面が放つ力を高めるかもしれない。禁忌が欲望を煽り、信仰を高めるように。しかし「透明な」夾雑物であるガラスは、画面の放つ力を曖昧に減殺し濾過してしまう。そこであらかじめ何が失われているのかは、なかなか明らかにならない。

 展覧会場には展示方法の説明として、ベーコン自身がガラスのはめられた状態で作品が展示され、眺められることを望んだと記されていた。これは私にとって極めて意外なことだった。ベーコンとは強度の画家にほかならないと思い込んでいたからだ。
 だが、直接的な「肉のきらめき」を希薄化され、皮一枚隔てた向こう側に遠ざけられた作品は、画集を観ていた時には気がつかなかった別の魅力をたたえていた。それを一言で表せば「静謐さ」となるだろうか。生々しい肉の振動と耳をつんざく絶叫に満ちていると思われた作品は、いまや無音の中に佇んでいる。もちろんそこで起こる「事件」が消え失せたわけではない。電気椅子にかけられたように激しく振動する身体、バラバラに切り分けられ吊るされた肉片、立ちこめる血煙、汗と血と精液に塗れた性交は、そのままそこにある。しかし、そこには決定的に音が欠けており、それゆえに事態は血生臭いリアリティを失って、一種夢のようなはかなさを帯びる。と同時に粗暴な力の騒々しい衝突と思えたものが、極めて精密に築かれた繊細さとして浮かび上がってくる。

 図像は地である周囲の空間に侵食/分解され、いまや消滅しつつあるものとして現れる。輪郭のブレは束の間の顕現の不安定さを呈示するものであり、落ち窪んだ暗い眼窩とぽっかり開いた口腔の虚無が、残された白い歯列によってさらに明らかにされる。身体は白い筆跡の集まりと化し、おぼろに蠢きながら次第に透けていって、ぼんやりとした広がりへと姿を変える。
 そうした図像の出現の仕方は心霊写真を連想させる。形の定まらない何か流動的なものが開口部から流れ出し、部屋の隅に静かにうずくまる。ベーコンの作品に特有の顔の歪みは、印刷された画像から想像していた荒々しい力による変形というより、心霊写真に特有の奇妙な光の屈曲を思わせた。写された時には何も起こってなどいなかったはずなのに、まったく自覚のない、ぐにゃりと溶けたような視覚の変容が、画面には音もなく映り込んでいる。

   

 展示にはベーコンの作品以外に、彼の作品を発想の源とした二つのダンス作品が含まれていた。エピローグとして置かれたペーター・ヴェルツ/ウィリアム・フォーサイスによる作品は、滑り、転び、腕を回し、また立ち上がるといった身体の動きがマルチ・スクリーンへの投影によりアッサンブラージュされる。対して土方巽「ベーコン初稿」では、舞台に尻を着き、上半身を起こし、両脚も上げた窮屈な姿勢で身体を震わせる土方の姿が記録ヴィデオで流されている。様々な動作を身体上にマルチ・プロジェクションする前者が、滑り転ぶが必ず立ち上がり、決して痙攣へは至らないのに対し、後者では例えば脚を曲げ/伸ばす相反する緊張に身体を痙攣/硬直させ、決して立ち上がることのないままに、顔貌をはじめ輪郭のブレが亢進し、むしろ内臓的な骨格が露呈されていく。憑依的/降霊術的な想像力に突き動かされた後者の方が、よりベーコンの核心をとらえているように私には思われた。

 

フランシス・ベーコン展  東京国立近代美術館 2013.3.8〜5.26

ディスク・レヴュー 2013年1月〜5月 その2  Disk Review Jan. - May, 2013 vol.2

  1. 2013/06/25(火) 23:08:10|
  2. ディスク・レヴュー|
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 ディスク・レヴューの第2回は器楽的インプロヴィゼーションからの7枚。ミッシェル・ドネダ参加作品が2作も含まれているが、透明な流麗さから荒々しい肉体闘争まで、速度そのものと化したサウンドの奔流から古びた心霊写真のように優雅な停滞まで、アコースティックな交錯からエレクトロニックな散乱まで、むしろ演奏の手触りは幅広く変化に富んでいると思う。長い準備期間をかけて選び抜いただけあって、いずれも秀作揃いと自負している。ぜひ耳を傾けてみていただきたい。



Benoit Delbecq & Fred Hersch Double Trio / Fun House
Songlines Recordings SGL-1600-2
Benoit Delbecq(piano),Fred Hersch(piano),Jean-Jacques Avenel(bass),Mark Helias(bass),Gerry Hemingway(drums),Steve Arguelles(drums,live electronics)
試聴:http://www.delbecq.net/bd/bd2audio.html
   http://www.allmusic.com/album/fun-house-mw0002482989
   http://vimeo.com/58387908
 ピアノとプリペアド・ピアノによる足のもつれたリズムの交錯。トリオの交感がつくりあげる本来は閉じた三角形を外へと開き、溢れ出す音の流れ。手前と背後で、右手前と左手奥で緊密に呼応しながら、異なる平面を推移する響き。ものの動きとかげの移ろい。光線の翳りと輪郭のちらつき。ピクニックのバスケットを囲む家族の団欒の後ろで、ふと風にそよぐ樹々の揺らめき。時折ピアノからドビュッシー的なきらめきが香るのは、そうした光に鋭敏だからかもしれない。決して場所を占めすぎることのない、各楽器の冷ややかに抑制された端正なタッチは、空間を埋め尽くすことなく、確かな余白の広がりを指し示す。小鳥の羽ばたきにも似た、粘度の低いさらりとした素早い動きが、磨かれた表面を滑走していく。そぼ降る雨の中、音もなく行き交う人の群れを、四角く切り取る窓のガラスに、弾ける水滴の予測し難い振る舞い(ズームの寄りと引きを繰り返すキャメラの視線による)。終曲を飾るのはオーネット・コールマン「ロンリー・ウーマン」。


John Butcher, Tony Buck, Magda Mayas, Burkhard Stangl / Plume
Unsound U35
John Butcher(saxophones),Tony Buck(drums,percussion),Magda Mayas(piano),Burkhard Stangl(guitar)
試聴:http://www.unsounds.com/35u.html
 冒頭のDerek Bailey,Evan Parker,Tony Oxleyのトリオを彷彿とさせるやりとりに一瞬驚かされるが、すぐに互いの感覚的距離がずっと近いことに気づく。音は投げ交わされるのではなく、演奏者の身体から切り離されることなく肌を触れ合わせ、折り重なる。響きの肌理を震えを触知する皮膚感覚的演奏。その一方で、ひたすら希薄な広がりを編み続けることに飽き足らず、間断なく音の粒立ちを変容/推移させ続けるヴィルトゥオージテは、旧世代から綿々と受け継がれた今となっては貴重品にほかなるまい。特にJohn ButcherとTony Buckの驚くほど繊細かつ多彩にして、ダイナミクスの振幅の大きな演奏が素晴らしい。後半は二人の紡ぐ電子パルスの雲のような集積に、Magda Mayasが冷たく硬質な輪郭を深々と刻印するトリオとなる。


Michel Doneda, Nils Ostendorf / Cristallisation
Absinth Records 023
Michel Doneda(soprano & sopranino saxophone,radio), Nils Ostendorf(trumpet)
試聴:http://www.absinthrecords.com/clips/023free.mp3
   http://www.squidco.com/miva/merchant.mv?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=16336
 風神の戦い。まっすぐに管を吹き抜ける息と、息の流れがねじれて生じた結び目が、管の各部をポリフォニックに分割振動させ、多重な輪郭の揺らぎが姿を現す。彼らは至近距離で対峙しながら、決して息を溶け合わせることがない。そそり立つ息の柱の間近を、噴出する鋭い風のうなりが削るように行き過ぎる。二人は互いの左手首を結わえ付け、右手にナイフを持った決闘者のように斬りつけ合う。両者の放つ音が「無声音」から「有声音」の領域へと移行し、寸断されたフレーズが寄せ集められて、彼らの向かい合う距離を介して「対話」へと編み上げられる時であっても、そこには常に「音響」へとこぼれ落ちていく回収不可能な逸脱があり、それを先の「接近戦」の感覚が支えている。500枚限定。


Doneda, Lasserre, Pontevia / Miettes & Plaines
Petit Label PL son 014
Michel Doneda(soprano & sopranino saxophone,radio), Didier Lasserre(snare,cymbal), Mathias Pontevia(horizontal drums)
試聴:https://soundcloud.com/psaihtam/miettes-plaines-extrait1
   http://www.petitlabel.com/pl/disque.php?ref=PL%20son%20014
 またしてもドネダ。しかし本作では、ほとばしる流動への純化に至った前掲作とは異なり、より色彩豊かに音色の運動を繰り広げる彼を聴くことができる。シンバルの連打の交錯を篠笛を思わせる甲高い音色が鋭く突き刺し、弓弾きシンバルの軋みから溢れる倍音の雲に対しては超高速の息の奔流が応え、ほとんどエレクトロニクスにも似た剛直な音色のパルスが激しく泡立ちながら明滅を繰り返す。ここで三人は演奏の場が張り裂けそうになるほど激しく息を吹き込み、忙しなく打ち込み揺すり立てながら、各々の動き回る身体の輪郭を聴き手の視線にさらし、等身大の世界を生きている。牙を立て噛みちぎるようなサックスと雪崩落ちるパーカッションの肉弾戦。あるいはふつふつとたぎる息と静かに擦られる打面の振動、間を置いて打ち鳴らされる金属音に注意深い眼差しを注ぎ続ける耳。だからこそ雑色的な異空間を導入するため、時折ラジオが用いられるのだろう。


Stephen Cornford, Samuel Rodgers / Boring Embroidery
Cathnor Recordings Cath015
Stephen Cornford(electronics),Samuel Rodgers(piano)
試聴:http://cathnor.com/?product=stephen-cornford-samuel-rodgers-boring-embroidery
   http://www.art-into-life.com/product/3476
 暗闇にピアノの打鍵がぽつりぽつりと滴り、空間に静かに波紋を広げる。空気がねっとりと波打ち、突然の衝撃にひしゃげ、あるいは一瞬プラズマが閃く様が、冷えきったエレクトロニクスにより彫啄され、皮膚表面のうぶ毛をざわつかせる。速度へと傾くことなく、一音一音の内部に潜む微細な振動の重なりにひたすら眼を凝らすピアノが、何より素晴らしい。希薄なエレクトロニクスの広がりに浸されながら、その響きは音響へと解体されてしまうことなく、目蓋の裏に映る残像のように希薄化しながらも、断じてそこに留まり続ける。耳の奥に貼り付いたピアノの地縛霊。そう言えば、このエレクトロニクスの感触は心霊写真にぼんやりと浮かび上がるエクトプラズムに似ている。カヴァー・アートのほとんど意味不明な、得体の知れない優雅さもまた魅力的。


Axcel Dorner, Mark Sanders / Stonecipher
Fataka 5
Axcel Dorner(trumpet,electronics),Mark Sanders(drums,percussion)
試聴:http://recordings.fataka.net/products/513486-stonecipher-axel-dorner-mark-sanders-fataka-5
 トランペットの息音、間歇的なあるいは変化することなく鳴り続ける電子音、鋭く短くあるいはやはり変化することなく擦られるシンバル‥‥。そうしたいかにもな音響的素材は、しかし通常のエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションの語法、すなわち触れるか触れないかぎりぎりに保たれた水平な層の重なりや、形なく溶解してクロマトグラフィックに滲み広がっていく希薄な響きの相互浸透等、に従うことなく、解き放つことの衝動と快感のままに放射/噴射され、勢いよくぶつけ合わされる。もちろんそこには冷徹な抑制が貫かれており、情動の垂れ流しに至ることなど決してないのだが、この交感はむしろロックあるいはノイズ・ミュージックのそれに近い(ミクロな次元まで研ぎ澄まされているとは言え)。それゆえ器楽的インプロヴィゼーションの枠に入れた次第。向かい合う二人の音像は明確な輪郭をたたえ、至近距離で激しく切り結ぶ。息音と電子音をまったく並列的に取り扱うDornerが素晴らしいのは当然として(その手つきはデヴィッド・チュードアを思わせる)、音色の遠近を際立たせながら、実に的確に対象を打ち抜くSandersの鮮やかさには驚かされた。録音も演奏の核心を鮮明にとらえている。


Ikue Mori, Steve Noble / Prediction and Warning
Fataka 6
Ikue Mori(electronics),Steve Noble(drums,percussion)
試聴:http://recordings.fataka.net/products/513487-prediction-and-warning-ikue-mori-steve-noble-fataka-6
 見事なスティック・ワークで風のように駆け抜け、鮮やかに身を翻すNobleと向かい合い対抗するのではなく、ミクロな細流となってその間隙に入り込み、衝突することなくすり抜け、常に高速で交錯し続けること。Moriは実に考え抜かれた明確なヴィジョンの下、表情ひとつ変えることなく沈着冷静に、サンプリングされた打撃音の破片を振り撒き続ける。降りしきる豪雨を幾重にもセットされたプロペラの回転が切断するような、恐ろしいばかりに高密度に圧縮された高速運動体(だが超高速度撮影で見返せば、ローターと雨粒はまったく衝突などしていない)。本作に比べれば、「高速ビートの交錯」を謳うスピード・メタルやターンテーブル・スクラッチはまったく児戯に等しい。チャン・イーモウがスローモーションで魅せるスーパー・アクション(時折濃密に過るオリエントな香りからの連想)を、反対にバスター・キートン的に何倍にも加速したような、思わず込み上げる笑いを抑えきれない圧倒的快作。

ディスク・ユニオンの宝箱の回帰  Return of Treasure Chest at "disk union"

  1. 2013/06/23(日) 13:11:02|
  2. 音楽情報|
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 ディスク・ユニオンの棚やエサ箱が「宝箱」に感じられた時代があった。
 80年代前半、まだ音楽を聴き始めたばかりの頃、雑誌『フールズ・メイト』で仕入れた知識だけを携えて、プログレ・コーナーを中心にレコード店をチェックしていた頃、次第にフリー・インプロヴィゼーションやフリー・ジャズにも興味が広がり出し、清水俊彦や植草甚一の文章、あるいはフィリップ・カルルとジャン=ルイ・コモリによる『ジャズ・フリー』巻末の人名辞典等を頼りに、ディスク・ユニオンの「フリー・ジャズ」コーナーを漁るようになっていった。当時を知らない方には信じられないかもしれないが、その頃のディスク・ユニオンにはIncus,Ogun,FMP,ICP,BVhaast,Bead,Hat ART等はもちろんのこと、Metalangage,Parachute,Trans Museq,Music Gallery Editions,Quartz,HORO等の新譜が入荷していた。これはほんの一例に過ぎないが、当時の私は次のような作品をプレミアの付いた中古盤ではなく、新譜で(時にはバーゲン価格で)入手している。

 Francois Tusques / Piano Prepare (La Chant Du Monde)
 Sonde / En Concert (Music Gallery Editions)
 Tamia / Tamia (T Records)
 Tamia / Senza Tempo (T Records)
 LaDonna Smith,Davey Williams,Theodre Bowen / Folk Music (Trans Museq)
 LaDonna Smith,Davey Williams,Anne LeBaron / Jewels (Trans Museq)
 Musica Elettronica Viva / United Patchwork (HORO)
 Bennink,Megelberg,Rutherford,Schiano / A European Proposal (HORO)

 
   

  


 どれも最近はレアになっているようだが、新譜で入手した当時の私にはそうした有り難みがわかろうはずもなく(現在と違って情報もなかったし)、今となっては甚だ後悔しているのだが、よくわからないままに手放してしまったものも少なくない。
 逆に言うと、そうして手放してしまったものが今度は中古盤となって還流してくるわけで、特に「フリー・ジャズ中古」のコーナーはとんでもない「無法地帯」と化していた。おそらくはノイズ・ミュージック以降に確立される「ノイズ・アヴァンギャルド」という札付け(が適切かどうかはもちろん別として)がまだなかった当時は、60〜70年代の残滓である「訳のわからないもの」はみんな「フリー・ジャズ中古」へと不法投棄されていたのである。だからセシル・テイラーやアルバート・アイラーといった由緒正しきフリー・ジャズに混じって、所謂フリー・インプロヴィゼーションはもちろん、新ウィーン楽派やストラヴィンスキー以外の現代音楽のほか、音響彫刻、環境音、演劇、あるいはどこにも紹介されていないヨーロッパのマイナーなグループ等が並んでいた。
 そうした中から私はカールハインツ・シュットックハウゼン、ルチアーノ・ベリオ、ヴィンコ・グロボカール、Nova Musichaシリーズ(Cramps)等を集め、ラモンテ・ヤングを入手し、鈴木昭男を知り、Living TheaterやWelfare Stateの音を耳にし、シンセサイザーを演奏するPaul Bleyに驚かされた。そのほかにも見知らぬ音盤をジャケットにクレジット楽器編成等を頼りに(要はピアノ・トリオやワン・ホーン・クワルテットとは異なる、ストレート・アヘッドではあり得ない怪しげな編成)掘り起こしていった。
 未知の作品をいろいろ教えてもらったという点では池袋アール・ヴィヴァンの存在も大きいのだが、スタッフに相談したり試聴もできる代わりに中古盤は扱っていなかったアール・ヴィヴァンに対し、ディスク・ユニオンの中古盤コーナーには、自分の勘だけを頼りに勝負するスリリングな楽しみがあった。プレミアなど付こうはずもなかったので(何しろ店員もそれが何かわからずに、単に「規格外」と判断してそこに放り込んでいるわけだから)、値段も安かったことがそうしたギャンブルを可能にしてくれていた。

 そうした中から自分なりに「発掘」した代表格として、ここでは二つのグループを簡単に紹介しておこう。
 まずはBBFC (Bovard,Bourquin,Francioli,Clerc)。このスイス出身のトロンボーンとサックスの2管クワルテットは、何より骨太な構築を得意としている。弓弾きを自在に駆使して空間を切り裂きまた綴じ合わせるLeon Francioliの荒々しい雄弁さとOlivier Clercの野太い打撃が切り結び、Jean-Francois BovardとDaniel Bourquinの重心を低く構えた重量感溢れる咆哮がのしかかる。

 


 次いではReform Art Unit及びThree Motions。ウィーンを活動拠点とする不定形のユニットである彼らの核はFritz Novotny(reeds,perc)とMuhammad Malli(dr,perc)の二人。19701年代初めに録音した『Vienna Jazz Avangarde』はもともとESPレーベルからリリースされる予定だったというから、彼の地のフリーの草分けと言っていいだろう。掲げたジャケットのイメージ通りの硬い鉛筆による繊細極まりない細い線の、腺病質で神経症的な震えが寄り集まり編み合わされて、精緻な起伏と明暗の移り変わりを生み出していく。

 


 新譜レヴューは定期的に掲載するが、旧譜についてはあまり採りあげないのは、よくある「廃盤自慢」に陥りたくないからだ。それに妙に好事家の物欲を刺激すると、自分が入手しにくくなるだけだし(笑)。にもかかわらず、こんな話を始めたのは、最近久しくお目にかかることのなかった、この二つのグループの盤をディスク・ユニオンの中古盤コーナーで見かけたからだ。特にBBFC関係については『Montreux 18 julillet 1987』、『Live』、『Cherchez L'Erreur』、『Musique』など未入手の盤も多数あり、早速購入させていただいた。かつてと違い、インターネットでいくらでも情報が入手できるわけだが、プレミアなしの良心的価格だったことを付け加えておこう。
 私が覗いたのは新宿とお茶の水だが、最近、新譜売り場では縮小を続け冷遇されてきたフリー関係が、こと中古盤に関しては盛り上がりを見せているように感じる。CDについてUS買付盤が大量に入荷しているが、アナログがさらに充実している。お茶の水Jazz TokyoではHorace Tapscott with the Pan-African Peoples Arkestra『Live at I.U.C.C.』を、新宿中古センターでは、John Cage「Variation �鵺」収録の米コロンビア盤やPhilip Corner『Piano Work』を、新宿ジャズ館のフリー・ジャズ中古盤セールでは、残り物の中に何と奇才/鬼才Jerome Savary率いるカーニヴァル劇団Le Grand Magic Circus『Les Derniers Jours De Solitude De Robinson Crusoe』を発見。新宿本店6階のオルタナティヴ売り場では、Le Bal De La Contemporaine(Sylvain Kassap,Francois Mechali,Gerard Siracusa,Pablo Cueco等参加の街頭練り歩き的ラテン・バンド)こそいささか値が張ったものの、Harry Partch『Harry Partch』(有名ブートレグ)や『Feldman・Brown』(Mainstream)を割安で入手。さらにはChantal Grimm『Variations En Femmes Majeures』、Les Soeurs Goadec『A Bobino』(La Chant Du Monde)、Chichomeia『Rogaton De Bleu』(Revolm)等の未知の盤を勘に頼って選び出した。ジャケットの説明からLes Soeurs Goadecはブルターニュ、Chichomeiaはオクシタンのそれぞれトラッド演奏であることは知れたが、むしろレーベルの耳を信じての買い物。こうした「掘り出し物」を見つける冒険ができるのは久しぶり。ここまでのラインナップから明らかなように、フリーはフリー、現代音楽は現代音楽ときちんと分割/区分されてしまうのではなく、開けてみるまでは何が潜んでいるかわからない、国境無視の治外法権状態が戻りつつある。最近は「ネットの情報」に必ず先回りされているわけで、「担当者も中身を知らないくせに、こんな高値付けやがって」(失礼)的な失望が多かっただけにうれしい限り。「ユニオンの宝箱が戻ってきた!」とばかりに感激。今後もこうした勇気あるチャレンジを続けてくれることを期待かつ要望したい。

   

  

  

  


 最後の最後でようやく今回のタイトルにたどり着くことができました。前置きの思い出話が長過ぎたかな。ちなみに後で調べたら、Chantal Grimmは大里俊晴が『マイナー音楽のために』で、相変わらずのぼやき口調ながらしっかり言及していました。さすがですね。脱帽。
 ちなみに、いま日本語でこの辺に詳しいサイトとして、新潟にある日本の至宝と言うべきレコード店「SHE Ye,Ye」のページ(※)があります。大里俊晴のレコード棚が引っ越して、彼亡き後も自ら増殖を続けているかのような品揃えは、お店というよりもう立派な文化アルシーヴであります。基本的に1枚ずつの入荷なのですぐ売り切れちゃうんだけど、試聴ファイルはそのまま残されているので、数々のお宝盤に触れることができて、ものすご〜く勉強になります。いや〜耳福耳福。
※http://www.sheyeye.com

ディスク・レヴュー 2013年1月〜5月 その1  Disk Review Jan. - May 2013 vol.1

  1. 2013/06/19(水) 22:43:54|
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 遅ればせながら、今年第1回目の新譜ディスク・レヴューをお届けしたい。まずはフィールドレコーディング、サウンドスケープの領域からの7枚。


Toshiya Tsunoda / The Temple Recording
Edition.T, e.03
Toshiya Tsunoda, Koichi Yusa, Sachie Hoshi, Teppei Soutome
試聴:http://www.art-into-life.com/product/3207
 まだ幼い頃、布団に入って横向きに寝ていると、どこからともなく行進の音が聞こえてきて、何だろうと起き上がると消えてしまう。そして再び寝入ろうとすると、ざっざっざっという規則正しい足音がまた響いてくる。何のことはない、その正体は蕎麦殻の枕に押し当てた自分のこめかみの脈動だったわけだが、そのことに気づくまでずいぶんと怖い想いをした。ジャケット写真に示されるように、ここで角田俊也は表題通りこめかみにマイクロフォンを装着し、風景と向かい合う。いわゆるバイノーラル・レコーディングと異なるのは、マイクロフォンが前方だけでなく周囲の、とりわけ身体内部の音もとらえてしまう点だ。それゆえ先に述べた雪を踏みしめるような「行進の足音」が規則正しく刻まれ、不透明にこもった響きの向こうに烏の鳴き声や小鳥の囀りが浮かび上がり、その遠ざかるような距離感が妙にリアルに感じられる。視覚が、対象との間の距離、介在する空間=分厚い空気の層をないものとしようとするのに対し、ここで聴覚はそうした隔たりを際立たせ、我々が重たい肉を被っていることを気づかせる。薄暗くはっきりしない風景の前で、耳の視線は内面へと沈み込んでいかざるを得ない。かつてのWrk以来の角田のコンセプチュアル・アート的な実験音楽志向について、私はそのすべてを無条件に賞賛するものではないが、本作が明らかにしている世界の手触りは素晴らしい。300枚限定。


Jakob Ullmann / Fremde Zeit Addendum 4
edition RZ 1029
Hans-Peter Schulz(organ)
試聴:http://www.squidco.com/miva/merchant.mv?Screen=PROD&Store_Code=S&Product_Code=17326
 昨年聴いた最良の作品のひとつとして挙げたCD3枚組Jakob Ullmann『Fremde Zeit Addendum』の続編(作曲作品としては前作にSolo�鵯+�鵺+�鶚のうちの�鶚の部分に当たるようだが、別の機会の録音でもあり、当然のことながらまったく違って聞こえる)。オルガンの持続音の静かなうねり/うなりの向こうに、遠くたなびく薄いもやのような層が現れ、空間の奥深さがそうした層の重なりとして次第に浮かび上がると、その奥行きに投影されるように、稲光の素早いちらつきがはるか遠くで発光し、その前に新たな持続の層が立ちふさがったかと思うと、ゆるやかに薄らいでいく。暗闇を凝視するうちに次第に目蓋が重く閉じていくように、視界はコントラストを失って、薄闇と薄明がひとつに溶け合って、墨跡の滲みの重なり合いと化し、音もなくたゆたいながら、時折、鈴鳴りにも似た透き通った響きが空間を震わせる。


Jeph Jerman / Psaltery
レーベル番号なし
Jeph Jerman(psaltery,editing)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/jephjerman/jerman-131.html
 物音系コンクレートの大家ジェフ・ジャーマンの自主制作による本作には、ほとんどクレジットがないが、表題と収録された音から推察すれば、プサルテリーの弦をe-bow等で持続的に振動させているのではないか。ほとんど電子音といってよい響きの中に、指先にかかる軋轢や摩擦を連想させる「しこり」が感じられる。それゆえ音はざらざらとした砂を噛むような異物感を湛えたまま、中空に掲げられ磔刑に処され、ふるふると震えちらつき、あるいはひくひくと不均衡に痙攣を続ける。ドローンの思わず覗き込むような深さはここにはない。代わりに奥行きを欠いた不透明な浅さが際立っており、種も仕掛けもない極めて具体的な物質の手触りを伝える。と同時に録音や編集の過程で不可避的に付け加わったのであろう不明瞭さや虚ろな反射が、これらの響きをさらに魅力的なものとしている。


Jeremie Mathes / Efequen
Unfathomless U15
Jeremie Mathes(fieldrecording,editing)
試聴:http://www.ftarri.com/cdshop/goods/unfathomless/u15.html
 Unfathomlessが継続している特定の記憶を持った土地におけるフィールドレコーディングを素材としたコンクレート作品。ここでは主としてカナリア諸島で録音された渦巻くような風の唸り、子どもたちの声、泡立つ水音、そよ風に揺らぐ軽やかな雨音の粒立ち等が精密にして繊細極まりないパッチワークを経て、家族のアルバムから滑り落ちた1枚の色褪せた見知らぬ写真のように、あり得ない記憶のどきどきするほどリアルな迫真性をたたえている(サウンドの移り変わりのスリリングなこと!)。接合/投影され重ね合わされた音素材がもたらす、あえかな滲みや相互干渉による歪み、空間のパースペクティヴのずれや乱れ、多重露光を思わせる異なる速度のすれ違い、本来同時に成立し得ない物音の共存等が、ほとんどドラッギーな酩酊と言うべき、物静かな錯乱を招き寄せる。物語性や象徴性の次元をあからさまに欠いて、指先の感覚によって導かれた隣接性の論理のみによってつくりあげられた、精緻な音の象眼細工。このレーベルの作品の水準の高さにはいつも驚かされる。限定200枚。


Sala / Plotina
obs* 042
Audrius Simkunas(fieldrecording,arrangement,transformation,mixing)
試聴:http://abser1.narod.ru/index/0-37
 地を這う押し殺した息遣いが、しばらくするうちに次第に頭をもたげ、あたりを眺め回し、眼前に立ち上がる中から吹きすさぶ風音のどよめきや吹き晒されて錆びた門扉の軋み、遠くから風を渡る犬たちの吠え声、あるいは太い送電線の唸り等が姿を現す。しかし人々の口端から漏れるつぶやきや脈々と尽きることのない清水の流れが聴こえてくるにつれ、先ほどから眼前を覆って揺らぎ続ける見通し難い音の幕が、風の音であることが急に疑わしくなってくる。降り続く雨にいよいよ水かさを増した河の流れのようでもあり、厚いコンクリートの壁を隔てて伝わってくる巨大な機械の動作音のようでもあり、巧みに自然音の陰影を施されたジェット旅客機の飛行音のようでもある。いずれにしても音は、通常ドローンと呼ばれる一様にして稠密な深さとは似ても似つかぬ、不均質な隙間/気泡をはらみ続ける。「これは全き流れである 年月を経ることもなく‥」とジャケット代わりの大判ポストカードに引用された詩文は始められる。65枚限定。


Marc Behrens / Queendom Maybe Rise
Cronica 076-2013
Marc Behrens(fieldrecordings,electronics,editing,mixing),Yoko Higashi(voice sample)
試聴:http://www.cronicaelectronica.org/?p=076
 視界を覆い尽くすほどに湧き上がる虫の軋り、猿の遠吠え、彼方で鳴き交わす長短の鳥の声。息の詰まるほど濃密にたちこめる熱帯雨林のサウンドスケープが、高熱にうなされるように揺らめき遠のいて、ぐるぐると廻り始める。空をつかむ指の間から逃れ去る音の手触り。エレクトロニクスによる響きの再構成が、ぐわんぐわんと頭蓋骨を振動させ、落ち葉の間から蟻の群れが這い出るように、ざわざわと耳の視界をシミュレートし続ける。その精緻さは時に晩年のRolf Julius(『Raining』等)を思わせもするが、ここでのBehrensの構築は随所にぞっとするような深淵が口を開けており(超低音の響きの凄まじいこと)、そうした空間構成の乱脈さとサウンドの熱量において上回っている。東陽子のヴォイスの登場は最後の7分間のみ。


V.A. / Touch. 30 Years and Counting
Touch Tone 33cd
Touch 33,Fennesz,Bruce Gilbert,Rosy Parlane,Oren Ambarchi,ELEH,BJ Nilsen,Nana April Jun,Chris Watson,Mika Vainio,Carl Michael von Hausswolff,Jana Winderen,Philip Jeck,Francisco Lopez,Z'EV,Hildur Guonadottir,Biosphere
試聴:http://www.linusrecords.jp/products/detail/6528/
   http://www.meditations.jp/index.php?main_page=product_music_info&products_id=10139
 アンビエント、サウンドスケープ、フィールドレコーディング作品等を多くリリースしてきた英国の老舗レーベルTouchの活動30周年記念コンピレーション(2012年作品)。超豪華な面子に驚くが、決して既出音源の編集盤ではなく、すべてここでしか聴けないトラックにより構成されている。同時にリリースされたLP盤2枚組に合わせたのか、各ミュージシャンの音源は4トラックにまとめられているが、重ね合わされているわけではない。わずかな沈黙だけに隔てられて、異なる風景/音響世界が連ねられていく。たとえば3トラック目の冒頭を飾る、おそらくは走る列車の車内から外界へと耳を澄ましたChris Watson作品において、疾走する列車と線路が刻む心地よい振動を果てしなく滑らかに伸びていく軸線として、車窓を移りゆく風景は次第に輪郭を失って溶解し、ひしめく砕片の流動となってぐるぐると巡りながら聴き手を押し流していく。記憶がとめどもなく逆流し、涙で視界が混濁する幻惑的な持続がすばらしい。そうした息遣いは、同トラックを締めくくるJana Winderenによる、ぴよぴよと囀る雀の一群を思わせる電子音が中空で明滅し、その向こうに明度の低い雲のような音塊が揺らめきつつ、ゆっくりと静かに流れていく空間構成と、確かに一脈通ずるものがある。

文藝別冊『総特集 デヴィッド・ボウイ』  "BUNGEI" Extra Issue Featuring DAVID BOWIE at Full Volume

  1. 2013/06/16(日) 22:26:11|
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 長らく更新が滞り、申し訳ありません。今後は継続的に執筆していくようにします。まずは最近の執筆活動の報告から。




 すでに多田雅範がブログで触れてくれているが、5月23日に発売された文藝別冊KAWADE夢ムック『総特集 デヴィッド・ボウイ』(河出書房新社)に執筆している。
 まずは全体に触れておけば、デヴィッド・ボウイの10年ぶりの新作『The Next Day』に照準を合わせた一連の雑誌特集の掉尾を飾るものであり、それにふさわしい充実ぶりと言えるだろう。さすがに創刊号で「世界で最も遅い年間ベスト」を掲げた『ユリシーズ』のメンバー河添剛・平治が企画しただけのことはある。
 内容の充実ぶりについては、表紙と目次をご覧いただくだけで、それと知れよう。特に眼を惹くのは花本彰(新月)、佐藤薫(EP−4)という二人の超カルトなミュージシャンの寄稿だろう。他にもカズコ・ホーキ、阿木譲らがラインナップされているのには驚かされるし、江川隆男、鈴木創士という「フレンチ・コネクション」も『ユリシーズ』らしい。もっとも鈴木はEP−4に参加していたりもするのだが。
 ロンドンで開催されたデヴィッド・ボウイ展のリポートをはじめ、写真やファッション、映画などヴィジュアル・イメージに対してきちんと目配りがなされている点も評価したい。
 肝心の音楽面については、英国ロックの権威である赤川和美がバランスの取れたボウイ通史を執筆し、河添・平による二つの対話とディスコグラフィ(全作品レヴュー)、「ボウイ曼荼羅」と名付けられた関連作品200枚のディスク・レヴューがこれを補強・発展させている。通常はレコーディングやツアーの参加メンバーの作品など「落ち穂拾い」で事足りる部分がこれだけ膨らまざるを得なかったことに、様々な影響関係(単に参照項や元ネタではないことに注意されたい)を公言する「影響を受けることの天才」ボウイの本質が示されている。

 さて今回の私の担当分はディスコグラフィと「ボウイ曼荼羅」のそれぞれ一部。具体的には次の作品を担当させていただいた。

【ディスコグラフィ】
 ダイアモンドの犬
 ロウ
 ヒーローズ
 ロジャー
 ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ
 ザ・ブッダ・オヴ・サバービア

【ボウイ曼荼羅】
 V.A. / An Introduction to Entartete Musik
 Charles Mingus / Charles Mingus Presents Charles Mingus
 John Coltrane / Infinity
 Sun Ra / The Magic City
 Gong / Magick Brother, Mystic Sister
 Van Der Graaf Generator / The Least We Can Do Is Wave to Each Other
 Peter Hammill / Fools Mate
 Kestrel / Kestrel
 Gavin Bryars / The Sinking of the Titanic
 Michael Nyman / Decay Music
 Tangerine Dream / Electronic Meditation
 Tangerine Dream / Rubycon
 Neu! / Neu!
 Neu! / Neu! 2
 Eno Moebius Roedelius / After the Heat
 Klaus Schulze / X
 Jac Berrocal / Paralleles
 Lester Bowie / The Great Pretender
 Nurse with Wound / The Second Pirates Session Rock'n Roll Station Special Edition

 後者の企画はもともと河添・平による144枚のセレクションを200枚に拡大したもので、これに当たっては幾つか私の提案も採りあげていただいた。もともとのセレクションが、たとえばボウイ自体が公言している影響源について、通常よく言及されるジャーマン・ロック勢にとどまらず、エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャード、あるいはMoondogやHarry Partchなどを含め広範に目配りされたものであったのだが、それ以外の部分について河添・平の選盤は、彼らの対話の内容にもうかがえるように同時代英国ロック・ミュージックへの視線が濃かったため、ジャズ系や現代音楽系を付け加えた次第。
 たとえばジャズに関し、少年時代のボウイが父や兄からの影響でミンガスやコルトレーンを聴き込んだことは伝記的的事実なのだが、具体的な作品名は明らかにされていないようだ。ここでは、ミンガスに関しては時期を考慮して『プレゼンツ・ミンガス』を(さらに文中で『オー・イェー』に触れた)、コルトレーンについてはサウンドの宇宙的広がりを評価して『インフィニティ』を選び(ボウイのサックス演奏には彼の影響は感じられない)、むしろボウイ「スペース・オディティ」や『地球に落ちて来た男』のイメージ戦略に顕著な宇宙へと向かう神話的想像力のつながりで、さらにサン・ラを加えることにした。
 他方、ジャック・ベローカル、ナース・ウィズ・ウーンズは「ジギー・スターダスト」のモデルと言われるヴィンス・テイラーから伸びる線にほかならない。

 ディスコグラフィでは、「宇宙から来たロック・スター」のペルソナを脱ぎ捨て、次いでフィリー・ソウルに魅せられていくまでの間、ジョージ・オーウェルやウィリアム・バロウズをはじめ多種多様な力線に無防備にさらされ、結果として影響関係の層が複雑に入り組んだ大きな屈曲点と言うべき『ダイアモンドの犬』、ポップ・ミュージックの歴史に大きな足跡を残した『ロウ』、『ヒーローズ』(ホントは引用符が重要)、『ロジャー』の所謂「ベルリン三部作」、レスター・ボウイを迎えて再び黒人音楽にオマージュを捧げた『ブラック・タイズ・ホワイト・ノイズ』、ボウイ自身のお気に入りでむしろ「作曲作品集」と呼ぶべき『ザ・ブッダ・オヴ・サバービア』と重要作品を担当させてもらったおかげで、一種「ボウイ論」的な構えでディスク・レヴューを執筆することができた。
 ボウイをポップ・ミュージックに囲い込み解消してしまうのではなく、影響関係の乱反射を通じて文学、映画、政治、政治、美学、社会学、絵画、写真、イメージ分析、美術批評、テクノロジー、ポップ・アート等、多くの領域へと関連づけ解き放つこと。ロンドンやベルリンだけでなく、たびたび参照されるニューヨークやワルシャワへと旅立ち、そこから振り返ること。制作当時の同時代だけでなく、ファシズム美学や全体主義への抵抗、さらにはファシズムによって排除された「頽廃藝術」、ドイツ表現主義等の歴史的地点から、あるいは「ワールド・ミュージック」以降にして、80年代再評価の高まる「現在」の視点から、時代の地層の積み重なりを通して眺めること。そうした「影響されることの天才」デヴィッド・ボウイにふさわしい振る舞いを心がけたつもりである。

 ぜひ書店等で手に取っていただければありがたい。



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