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高潔さの喪失 − 三善晃・堂本尚郎追悼  Loss of Nobility − Akira Miyoshi & Hisao Domoto RIP

  1. 2013/10/13(日) 19:11:15|
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 2013年10月4日に三善晃と堂本尚郎が亡くなった。「時代」が終わった。

 三善晃の名は以前から知っていたが、聴き始めたのは最近のことだ。多田雅範の高評価に興味をそそられて再発された『交響四部作』を聴き、一気に引き込まれた。続けて先行して再発されていた『レクイエム』へと聴き進んだ。再発のディレクターは共に日本伝統文化振興財団在籍時の堀内宏公。彼は多田と共に音楽サイトmusicircusを主宰している。
 私が魅せられたのは、三善の硬質なリリシズムであり、それを支えている覚醒した構築感である。深い叙情をたたえ、ロマンティシズムに身を沈めながら、甘さやべたつきが微塵も感じられないのは、音の配置と配合に対するぱきぱきと覚醒し透徹した感覚による。「構築感」と言い、「構築」と言わぬのは、三善のつくりだす響きが音のピラミッド状の積み重なり、石造りの重厚さとは無縁だからだ。散乱する響きは初秋の陽の光にきらめく透き通った蜻蛉の翅を思わせる。まぶしさのない鮮烈さ。醒めた熱情。積み重ならず、壁を築かず、どこまでも向こう側を見通せる開かれた響き。僅かな濁りも許さず常に清冽であろうとする響きには、いつもアドレッセントな痛みが伴うが、それを永遠の文学青年的なイメージに押し込めてしまうのはあまりにも勿体ない。だから、毎日新聞に掲載された梅津時比古による追悼文「死を通した生の称賛」の、死の影、死への志向性を三善の通奏低音としてとらえる見方には違和感を覚えずにはいられない。そこでは東京大空襲に遭遇し「多摩川で水遊びしていたら、隣にいた子供たちが機銃掃射で真っ赤に血を流して死んでしまった」体験や、「オーケストラと童声合唱のための 響紋」においてオーケストラにかき消される「かごめかごめ」が象徴的に取り扱われている。
 「追悼」が終わってしまった一人の生を総括し、棺の蓋を閉じることである以上、それは作法にかなった所作なのかもしれない。しかし、後にも述べるように、私たちはこれからも三善晃を聴き続けなければならない。あるいは今こそ心して聴き始めなければならない。ため息をひとつついて「三善晃」という書物を閉じ、書棚にしまい込んでしまうのではなく、すぐさま頁を開き読み進めること。せめていつの日にか読み改めることを自らに課して、机の上に出しっぱなしにしておくこと。

 
  三善晃『交響四部作』   三善晃『レクイエム』


 堂本尚郎の作品を直接見たのも、つい最近のこと、このブログでレヴューした(※)『アンフォルメルとは何か』展(2011年ブリヂストン美術館)においてだった。そのレヴューで私は「先駆者」であるジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェに比べ、「流行としてのアンフォルメル」の中で制作された作品(マチウやスーラージュ、アルトゥングら)は一定のテンプレートに拠っているがゆえに食い足りないとして、次のように記している。
「もうひとつは、個々人の〈様式〉に沿った作成過程に生じる不確定性への注目であり、筆の運びの揺らぎや刷毛目のずれが、まさに「不定形」を呼び込むものとして尊重されることになる。こうなると書道における筆のかすれ等を尊ぶ日本伝統の美的感覚は強力な武器であり、実際、堂本尚郎の作品の完成度の高さは群を抜いていたが、この作品をあえて〈アンフォルメル〉の名の下に評価する必然性は薄いように感じられた」。
※http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-109.html
 その後、2005年に開催された大回顧展の図録を入手し(何とブックオフで500円!で購入)彼の変遷の軌跡を知ることになるが、ごく初期の日本画を別にすれば、「アンフォルメル」時期、続く「二元的アンサンブル」や「連続の溶解」の時期から、晩年の「無意識と意識の間」の時期に至るまで、そこには通底した感触があるように感じられる。筆触や飛沫による揺らぎへの繊細な鋭敏さ。「アンフォルメル」期において、カンヴァスに油彩により描かれる形態は流動化し、マッスは解体され、絶え間ない運動へと解き放たれていく。最初から風がうなり吹き抜け、荒波が襲い逆巻く空間だけがあるとでも言うように。そこには鈍重な枠組みがないのと同様に、重苦しい混沌も存在しない。油彩本来の形態の、色彩の、量感の積み重なりの代わりに、奥行きの浅さにもかかわらず伸びやかにすれ違う速度/運動あり、それを可能にするモビール様の可動的な構築性がある。
 こうした特質は、画面分割による構成を導入した「二元的アンサンブル」期や、一見ブロックの集積を思わせる構成に至る「連続の溶解」期、さらにはそれがブリジット・ライリーのオプ・アート作品をすら連想させる正円のシステマティックな反復にまで発展するそれに続く時期でも変わらない。時にリジッドな精密さを装いながら、それでもなお形態/構成にはにじみやかすれを介して常にずれていく可動性、音もなく這い進む菌糸の先端の震えが宿っている。また、色彩は積み重なって量感のあるマッスを形成することなく、はらはらと剥がれ散り落ちる脆さ/はかなさをたたえている。そうした不確定な流動への契機が「構成」を侵食し前景化してきたのが、晩年の「無意識と意識の間」ととらえることができよう。
 毎日新聞に掲載された尾崎信一郎による追悼文「変容を恐れぬ勇気」が、「半世紀以上に及ぶ作品の変容、実験精神の軌跡」にスポットを当てていることは、何かひとつのことに打ち込み、長い年月をかけて「深化」の物語を紡いでいくこの国の職人的芸術家たちと堂本を峻別しようとする意図の現れ、語りの戦略として理解できる。だが、自解しながら次々とコンセプトを破り捨て、マーケティングに沿って「変貌」を遂げていく、この国の昨今のアーティスト群と画然と峻別するためにも、ここではむしろ通底する連続性の方を指摘しておきたい。なお、尾崎は前述の2005年の大回顧展のキュレーターであり、図録にも長文の批評を寄せている。彼は2004年にはもはや伝説的な「痕跡」展をキュレートしており、著書『絵画論を超えて』(東信堂)はフォーマリズムやアンフォルメル及びそれ以降について思考する際には必読と言える。

 
堂本尚郎回顧展図録(2005年) アンフォルメル期の作品

 
「連続の溶解」期の作品


 「連鎖反応」期の作品


 三善と堂本に共通しているのは、研ぎ澄まされた響きの強度にだけ賭ける集中と潔さであるように思う。そこに言い訳はない。もっともらしいコンセブト解説も、流行への追従や反発(を装った追従)も、受容の水準に「配慮」した(と称する)妥協もない。自らのエクリチュールを高め極め尽くす高潔さがあるだけだ。無論、達成のあるところには権威が生じ、権力を呼び寄せがちである。よほど注意深く振る舞わなければ、そこには取り巻きたちによる低レヴェルの「政治」が忍び込む。このことは否定しない。そのことによって本人を免罪するつもりもない。だが、そうした「実績」によって達成の価値が減じられるわけではない。繰り返しになるが、人間なんてドングリの背比べで、一人の人生などたかが知れている。だが作品や達成はそうした一人の人生を軽々と超え出て、他人の人生を触発し、後世へと受け継がれていく。そうした輝きを、汚辱に満ちた生から拾い上げずして、批評の役割など存在しない。
 学芸会の演目を批評の刃で切り裂くのは大人気ない振る舞い、いや乱暴狼藉とすら言うべきものだろう。それは出来不出来にかかわらず、家族や友人たちに「頑張ったね」と祝福されるべきだし、何よりも演じた当人たちは達成感に酔ってよい。それはそれで構わない。けれど何の関係もない他人を巻き込んで、皆に「感動」を強要するのはお門違いだ。「私たちは一生懸命やっているのだから、あなたたちにはそれに感動する義務がある。もとよりそれを拒絶したり、批判する権利など誰にもない」というのは、それこそ乱暴狼藉にほかなるまい。
 アイドル歌謡にしろTVドラマにしろ、あるいは音楽でも美術でも演劇でも映画でも、今日ほど「感動」や「共感」がこのような回路で息苦しく強制されてくる時代はなかったのではないだろうか。いや違う。こう言うべきかもしれない。何度となくこの国で繰り返されてきた「同化」の強制が、今日ほど空虚な微笑みと浮かれた軽薄さを浮かべている時代はなかった‥と。
 大友良英は著書『ENSEMBLES』(月曜社)の冒頭で飴屋法水の芝居を採りあげ、そこに登場する女子高生たちが「それぞれ個々の個性と歴史を持ったひとりの人間たち(生き物たち)に見えてくる」変化について書いている。芝居が終わり出演者の名前=本名がスクリーンに映し出されると理由もわからずボロボロと泣いてしまうと。演技や脚本の質にかかわらず、名前を持った一人ひとりの存在はかけがえがないというわけだ。このことはわざわざ他人のブログから、打ち上げの席で「私たちの名前を全部言えますか」と紹介を求められ、18人「全員の名前を言えた飴屋さんが友人であることをちょっとだけ誇らしく思った」という一節を引用してみせていることからも明らかだろう。そしてそれはそのまま、スタッフ一人ひとりの本名を掲げた日記体によるYCAM「ENSEMBLES」展の準備作業の記録に引き継がれる。年間4億円の維持運営経費を要する公立施設におけるプロのアーティストとスタッフによる一大企画は、こうして女子高生の学芸会と周到に重ね合わされる。同展のチーフ・キュレーターを務めた阿部一直は注意深くこう書き留めている。「今回の大友の『ENSEMBLES』に共通する、きわめてシンプルなルールは、同期(シンクロ)してはいけない、ということである。(中略)同期せずに存在(共存)せよという、共存はするが微細な多数の動きの突出・交走によって存在が現れる、またそれらを見出し合う知覚を形成せよ、というラディカルな空間のポリティクスが、強靭に『ENSEMBLES』全域に響き渡っているのである」と。まさに然り。そして歯止めとなる唯一の倫理である、この「同期の禁止」を欠けば、2008年の『ENSEMBLES』は2013年の「あまちゃん」狂想曲にまっすぐつながってしまうのだ。


 三善や堂本の死に際して多くの論者が「ひとつの時代の終わり」を感じたと記している。だが先に触れた息苦しいまでの低俗の充満を思う時、彼らが貫いた高潔さにこの国で巡り会うことは、もう二度とないように私には思えてならない。「ひとつの時代」ではなく、「時代」が終わったと冒頭に記した所以である。


マリオ・ジャコメッリ写真展「The Black Is Waiting for the White」のことなど  Exhibition of Mario Giacomelli " The Black Is Waiting for the White " and so on

  1. 2013/07/07(日) 23:17:45|
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 もう2か月近く前に観たマリオ・ジャコメッリ写真展について、印象を書き記しておくとともに、そこに潜む生成のプロセスへの注視について、前回のジョン・ブッチャーへの言及とも絡めながら書いてみたい。

 マリオ・ジャコメッリの作品を初めてみたのは、新聞の展覧会紹介に眼を留めた妻に連れられて行った、今回と同じ東京都写真美術館でだった。妻も彼の名を知っている訳ではなく、単にそこに掲載されていたちっぽけな写真にとらえられた、白と黒の静謐で優雅な戯れに魅せられてのことだった。その2008年に開かれた写真展は、彼の日本における最初の写真展で、今回が2回目ということになる。

 今回と前回の写真展の構成の違いとして、今回の方が作品の選択が幅広く、長期に渡る作品群、多くの写真集から選ばれていることが挙げられる。作家に対する一定のパースペクティヴを示すことを狙いとしたのだろう。その分、絞り込まれた写真集から集中的に多くの写真が展示されていた前回より、印象が分散されることにもなるのだが。

 今回の展示は19501年代の「初期写真」から始まるが、やはりまず強い印象を与えられるのは、ホスピスの老人たちをとらえた『死がやって来ておまえの目を奪うだろう』からの作品である。対象との一定の距離を保ち、激しく対峙するというよりは静かに見詰めることによって得られた写真は、しかし深く険しい皺を画面に刻印されており、観る者は被写体である人物と向かい合うことはなくとも、そこに足音を響かせながら近づいて来る死からは眼を離すことができない。

 『スカンノ』の不可思議な夢かデジャヴュめいた形象の配置や『ルルド』の群衆造形美(テオ・アンゲロプロスを思わせる)は、世界の静謐さ、音のない世界の寄る辺なさと存在の手触りの確かさを際立たせる。それは無声映画のフォトグラムのように見える。凍り付いた動きが示す時間の結晶化。
  

 これらの自己を確立した作品群を経て、1960年代初めに撮られた『私にはこの顔を撫でてくれる手がない』がやはり私には一番好ましい。これは前回もそうだった(新聞に載っていたのも、この写真集からの1枚だった)。先立つ写真集で確立された優美な造形感覚を踏まえながら、白地に映える黒い形象の輪郭は雪に溶けるように柔らかく、被写体である修道士たちの表情や動きは喜悦に満ちている。降り積もり、さらにちらつく雪が大地を覆い尽くし、すべての汚れや陰影を洗い流して、無垢な童心を弾けさせる。と同時に修道士たちの身体は肉の重さを脱ぎ捨て、風に舞い上げられる雪の華のように無重力状態で尽きることのない戯れを始める。その時、白地に散らされた黒一色の形象の輪郭は、白と黒という本来は絶対的な対比の下にありながら、光線の一瞬の揺らめきに似た軽やかな移ろいを見せる。ここで黒はおだやかな微笑みをたたえ、白と仲睦まじく触れ合いながら全体の布置を編み上げる。疲れて寝入ってしまった老妻の肩にそっと毛布を掛けるように。
  

 それに比べると以降に継続して撮影された風景の連作は、リノリウム版画的な凝縮され均一化された黒による抽象的な造形へと昇華されてしまっており、あのおだやかな冬の陽射しの運んで来る魅惑的な甘い匂いは、厳冬の凍てつきや真夏の容赦なく照りつける光線がつくりだす、きっぱりとした陰影/明暗に掻き消されてしまっている。その一瞬のうちに焼き付けられた光景には、あの暗く湿ったおぞましいホスピスの、死の匂いを濃厚に放つ皺が深く刻まれているように思われるのだ。


 最後に展示されていた彼による詩文を掲げておきたい。
  瞬間=呼吸
  ひとつ前の呼吸が
  次の呼吸より大切だということはない。


 前回、久しぶりに月光茶房を訪れた話をしたが、店主原田とは写真の話もした。月光茶房の壁面の以前はLPジャケットがディスプレイされていた場所に、いまは原田自身が撮影した写真作品が数点展示されている。四谷荒木町の喫茶店で開かれた二人展に出品されたものだ。月光茶房を打ち合わせに利用していた写真家が、彼の作品を見てこう語ったという。「普通アマチュア写真家はカメラから入る。本来は道具に過ぎないカメラに熱を上げて、惚れ込んだ名機を手に入れ、それからさて何を撮ろうかと被写体を探す。だから写真がカメラの眼を通した『記録』となる。あなたの写真からはあなたが見ている撮りたいものが見えてくる。だから『記録』にならない。これはアマチュアが撮った写真にはめったにないことだ」と。
 その写真家の指摘は、私の感じている原田の写真の特質と響きあう。彼の写真はもののかたちや輪郭をとらえようとしない。彼の眼はそうしたかたちや輪郭をかたちづくっている生成へ、そこでせめぎあう諸力へと注がれている。前回のブログで採りあげたデレク・ベイリーと田中泯による『Music and Dance』における交通騒音に洗われ、雨音に掻き消されるギター音を、それらを還元し空間に侵食される以前の演奏音の復元へと遡行するのではなく、それらの変容とともに聴くこと。そこで流出や流入、相互浸透がかたちづくっている動的平衡のプロセスに耳を浸すこと。そうした視線を誘うものが原田の写真作品には確かに備わっている。そして『Music and Dance』はかねてからの原田の愛聴盤なのだ。
 もともと彼自身が絵を描いていたこと、そしてTVドキュメンタリーで観たとある画家の制作作業が、キャンヴァスに筆が触れる物音の絶え間ない継続/集積と感じられた経験。こうしたことが彼の眼差しをつくりだしたのだろう。それは地層の積み重なりや褶曲/断層に幾何学的なパターンではなく、生々しい力の痕跡を身体で受け止める地質学者の感覚に近いのかもしれない。
 前述の二人展では、もうひとりの写真作品がはるかに大判で、しかもあでやかな極彩色の花の写真だったために、その「騒々しさ」の傍らで原田の作品に耳を傾けることは難しかった。花の色に眼を奪われ、その明確な輪郭に縁取られたかたちに囚われてしまった視線は、原田の作品が捉えている生成の力を触知することができず、そこを素通りしてしまう。今回のように、原田の作品だけがモノクロームな壁面に複数並べて展示されている環境では、作品ごとに被写体や構図、マティエールが全く異なるにもかかわらず、いやそれゆえにこそ、眼差しが焦点を合わせるべきある共通の平面/力場が浮かび上がる。



 多田雅範がまたブログ記事「レイヤー構造によって受信する枠組」(※)でエールを返してくれている。
 ※http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20130705
 そこで彼は「福島恵一によれば、わたしはデヴィッド・ボウイよりカッコいいことになる」と書いている。確かにステテコ姿で卵ご飯を掻き込み、室外に置かれた洗濯機に向かわせたら、ボウイは彼の足下にも及ばないだろう。
 それはさておき、ここで多田はGilles Aubryの作品の聴取が耳の風景のあり方を不可避的に変容/更新してしまった体験に触れている。今までも見ていたはずなのに見えていなかった細部が浮かび上がり、視界の感触は全く別のものへと変貌する。今まで感知していた世界が足下から崩れ去り流動化して、踏みしめていた地平が消失しまう経験。
 鈴木昭男とのデュオで、ジョン・ブッチャーが図らずも階段の軋み(それは演奏者が立てたものではない)と「共演」してしまった時、彼の音は階段の軋みを演奏の場へと迎え入れ、その一部として浮かび上がらせたと言うことができる。そこに居合わせた私は、この階段の軋みの浮上により、ブッチャーが空間の隅々にまで張り巡らしている眼に見えない鋭敏な感覚網に気づかされた。と同時に、そのネットワークのセンシビリティに部分的に同調/共振することにより、耳の視点がずらされ、空間に潜むざわめきが視界に浮かび上がるのを目撃した。チラシの紹介文では、ブッチャーの超生真面目ぶり(超・超絶技巧と同じくらいスゴイ。何たってもともと原子物理学者だし)をスナップしたユーモラスなエピソードとして紹介しているが、実はそれは恐るべき画期的事態でもあったのだ。


心霊写真的想像力 − フランシス・ベーコン展レヴュー  Spirit Photographic Imagination − Review for Exhibition of Francis Bacon

  1. 2013/06/29(土) 22:07:20|
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 しばらく前に観たフランシス・ベーコン展について、簡単に印象を記しておきたい。





 ベーコンはずっと「気になる」画家だった。決して「好き」とは言えないが、いったん作品を眼にしてしまえば、そこから視線をそらすことができず、思考を強烈に触発して止まない。だから、一度、現物を観てみたいとずっと思っていた。

 実際に作品と向かい合った印象は、まったく予想外のものだった。あの視線を絡めとり、脳髄を縛り上げる「肉の赤」が、画集に収められた印刷ほどにはこちらに迫ってこないのだ。理由のひとつは作品にはめられた展示用ガラスの透過性や反射、すなわち「透明な」夾雑物がもたらす「距離」あるいは「隔離」の感覚にあるのは明らかだ。ここで夾雑物が明瞭に視界を遮るようなマテリアルなものであれば、それは隠された部分へと向かう視覚を強烈に喚起し、むしろ画面が放つ力を高めるかもしれない。禁忌が欲望を煽り、信仰を高めるように。しかし「透明な」夾雑物であるガラスは、画面の放つ力を曖昧に減殺し濾過してしまう。そこであらかじめ何が失われているのかは、なかなか明らかにならない。

 展覧会場には展示方法の説明として、ベーコン自身がガラスのはめられた状態で作品が展示され、眺められることを望んだと記されていた。これは私にとって極めて意外なことだった。ベーコンとは強度の画家にほかならないと思い込んでいたからだ。
 だが、直接的な「肉のきらめき」を希薄化され、皮一枚隔てた向こう側に遠ざけられた作品は、画集を観ていた時には気がつかなかった別の魅力をたたえていた。それを一言で表せば「静謐さ」となるだろうか。生々しい肉の振動と耳をつんざく絶叫に満ちていると思われた作品は、いまや無音の中に佇んでいる。もちろんそこで起こる「事件」が消え失せたわけではない。電気椅子にかけられたように激しく振動する身体、バラバラに切り分けられ吊るされた肉片、立ちこめる血煙、汗と血と精液に塗れた性交は、そのままそこにある。しかし、そこには決定的に音が欠けており、それゆえに事態は血生臭いリアリティを失って、一種夢のようなはかなさを帯びる。と同時に粗暴な力の騒々しい衝突と思えたものが、極めて精密に築かれた繊細さとして浮かび上がってくる。

 図像は地である周囲の空間に侵食/分解され、いまや消滅しつつあるものとして現れる。輪郭のブレは束の間の顕現の不安定さを呈示するものであり、落ち窪んだ暗い眼窩とぽっかり開いた口腔の虚無が、残された白い歯列によってさらに明らかにされる。身体は白い筆跡の集まりと化し、おぼろに蠢きながら次第に透けていって、ぼんやりとした広がりへと姿を変える。
 そうした図像の出現の仕方は心霊写真を連想させる。形の定まらない何か流動的なものが開口部から流れ出し、部屋の隅に静かにうずくまる。ベーコンの作品に特有の顔の歪みは、印刷された画像から想像していた荒々しい力による変形というより、心霊写真に特有の奇妙な光の屈曲を思わせた。写された時には何も起こってなどいなかったはずなのに、まったく自覚のない、ぐにゃりと溶けたような視覚の変容が、画面には音もなく映り込んでいる。

   

 展示にはベーコンの作品以外に、彼の作品を発想の源とした二つのダンス作品が含まれていた。エピローグとして置かれたペーター・ヴェルツ/ウィリアム・フォーサイスによる作品は、滑り、転び、腕を回し、また立ち上がるといった身体の動きがマルチ・スクリーンへの投影によりアッサンブラージュされる。対して土方巽「ベーコン初稿」では、舞台に尻を着き、上半身を起こし、両脚も上げた窮屈な姿勢で身体を震わせる土方の姿が記録ヴィデオで流されている。様々な動作を身体上にマルチ・プロジェクションする前者が、滑り転ぶが必ず立ち上がり、決して痙攣へは至らないのに対し、後者では例えば脚を曲げ/伸ばす相反する緊張に身体を痙攣/硬直させ、決して立ち上がることのないままに、顔貌をはじめ輪郭のブレが亢進し、むしろ内臓的な骨格が露呈されていく。憑依的/降霊術的な想像力に突き動かされた後者の方が、よりベーコンの核心をとらえているように私には思われた。

 

フランシス・ベーコン展  東京国立近代美術館 2013.3.8〜5.26

沸騰する「イズム」の中の交流/交換機−村山知義展レヴュー  A Switchboard in Seething "ISM"−Review for Exhibition of Tomoyoshi Murayama

  1. 2012/09/01(土) 14:09:30|
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【前口上】
 世田谷美術館で9月2日(日)まで開催されている村山知義展「村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する」を観てきたのでレヴューしたい。私がもともと村山知義を知ったのは、クルト・シュヴィッタースのことを通じてだった。その時点では彼の多様な活動の全体像など知るはずもなく、単にシュヴィッタースと類似した、「メルツ」的な(ということはまったくマックス・エルンスト的でない)ジャンクなコラージュ作家としてだった。代表作のひとつ「コンストルクチオン」も言わば立体コラージュと見なしていた。今となれば、シュヴィッタースの場合には、彼の作品群を総称する「メルツ」という語自体が、もともとコラージュ用に切り取られた紙片にたまたま残されていた印刷文字から採られているように、語/文字へのこだわりが非常に強く、これは村山との非常に大きな違いだと思うのだが。やがて『マヴォ(Mavo)』の活動の多様な広がりを知り、彼に対する関心をますます深めていくことになる。決定的だったのは音盤レクチャー「耳の枠はずし」で清水俊彦のことを調べていた時、第一次大戦後の各イズムの百花繚乱が日本国内でもほぼ同時期にすでにして展開されており、その中で村山が大きな役割を果たしており、さらに清水の先達にして盟友というべき植草甚一が前衛・舞台美術に興味関心を持ったきっかけが、村山の作品との出会いであったことを知ったことだった。
 村山の全体像はとらえ難い。今回の展覧会を観て、収拾がつかないほど、ますますイメージが拡散してしまった感すらある。それでも逆に言えば、それこそが村山知義なのだろう。ずらりと並べられた彼が表紙デザインを担当した雑誌の数々に象徴されるように、ある意味とりとめなく並列的な展示も、彼の活動を素直にとらえたものと言えるのではないだろうか。それらを収めた図録も、大判の写真が少ない等の不満もあるが(「コンストルクチオン」なんて見開き写真もあってよかったと思う)、多くの資料点数を収録した労作であることは間違いない。
  
 村山知義展ちらし         同図録


1.イズムの沸騰

 村山知義展の第犠蓮崛庵:1920」は、彼の子ども時代でも、初期作品でもなく、束の間の雨季の訪れた砂漠地帯のように、各種イズムが一斉に花開いた、第一次世界大戦後の時代状況から始まる。イズムは互いに咲き誇るだけでなく、入り乱れ、互いに影響を与えあった。それは遠くヨーロッパの話だけではない。マリネッティが1909年2月20日に仏フィガロ紙に掲載した「未来派宣言」が、同年5月1日発行の『スバル』に掲載された森鴎外「椋鳥通信」でいち早く日本に紹介されたように、すでに世界は打てば響く鋭敏な同時代性のうちにあった(あるいは電子メディアの発達した現代よりもはるかに。むしろ現代においては《同時代性》なるもの自体が解体し、不可視の存在となってきているのではないか)。当時の日本でも、ダダが、シュルレアリスムが、未来派が、ロシア構成主義が、それぞれに機関誌を発行し、活発にしのぎを削りつつ、新たな交流と運動を芽吹かせていた。
 これらの各種イズムはヨーロッパの地にあっても、後にアルフレッド・バーが作図したツリー状の系統図(事前から事後への一方的な影響関係の連鎖と不可逆な分岐)に到底収まるものではなく、その中で活動していた、いやこの沸騰する鍋の中に否応なく放り込まれることとなった者たちにとっては、そうしたイズムを超えた横断的な、いやむしろ個々人の偶然遭遇を含む、とりとめのないほど多重な交流と相互の影響関係があった。遠く離れた日本においても、幾人かが個人的な窓口となり、たとえばW.B.イエイツやエズラ・パウンド等との個別の交流が始まっていた。
 展示はまさにこうした同時代のイズムの渾然たる沸騰を事実の羅列として物語るべく、カンディンスキーの繊細な力学に基づく抽象を、ジョージ・グロッスの真実を赤裸々に描き出すがゆえに眼を背けたくなるような野卑な描線を、エル・リシッキーの簡明な幾何学的構成を、クレーの暗いファンタジーを、語や文字列に偏執的なこだわりを見せるクルト・シュヴィッタースのメルツ作品(コラージュ)を、ダダや未来派の機関誌類を、我々を取り囲むように並べ立てていく。
      
 ワシリー・カンディンスキー    ジョージ・グロッス    エル・リシツキー    クルト・シュヴィッタース
*展示作品の写真を掲載したため、かならずしも代表作ではありません。


2.《交流/交換機》
 
村山知義がヨーロッパのメトロポリスたるベルリンを訪れたのは、そうした最中1922年のことだった。第蕎蓮崘賣咫淵戰襯螢鵝法1922」の展示はこの時期を対象としている。彼は現地で様々な活動に参加し(というより慌しく駆け抜け)、一定の評価を得て帰国した。しかし、彼の画風は滞欧当時から一定せず、激しく揺れ動いている。女性の肖像の連作においても、フォルムのとらえ方もマチエールも違うばかりか、抽象/具象度すら大きく異なり、神経質な鋭い眼差しの印象だけが共通している。
 翌1923年に帰国した彼は構成主義的な機関誌『マヴォ(Mavo)』を発刊し、絵画、コラージュ、立体構成、彼自身の両性具有的な身体を活かしたダンス/パフォーマンス、子ども向け雑誌からプロレタリア機関誌に至る表紙や広告のデザイン、ポスターやチラシのデザイン・制作、書籍の装丁、絵本や挿絵の制作、評論や理論的著作の執筆、演劇舞台装置の設計、劇場の内装、建築デザイン等を並行して、まさに同時多発的に展開する(後には小説すら執筆している)。第珪蓮嵎騰 1923-1931」で展開される、この極端に幅広い活躍ぶりは、あるいはレオナルド・ダヴィンチのようなルネサンス万能人を連想させるかもしれない(今回の展覧会の惹句でも「日本のダヴィンチ」とそのことを暗示していた)。
 しかし私には、彼の縦横無尽な多面的活動は、世界/宇宙との照応関係を背景としたルネサンス万能人とは異なり、より具体的なネットワークによる《交流/交換機》を思わせる。「交流」などと言うと、宮沢賢治「春と修羅」序の「わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽靈の複合體)」との有名な一節がすぐに浮かぶが、宮沢賢治の「交流」がぼうっとしたおぼろな実体のなさ、ホログラム的な淡さ、希薄な熱のなさを示すのに対し、村山における「交流」は、あちらこちらで同時にけたたましく鳴り響く電話のベルに応えて、即座に切り替えられつなぎ替えられる電話交換機の、あるいは発信音を操作するためにコードがスパゲッティ状にパッチワークされる巨大なモジュラー・シンセサイザーのそれであり、実態的な電圧と熱量と回路と運動に満ち満ちた、様々な変化と結果を生み出さずにはいない生産的なものにほかならない。
 ほとんどカオスに等しいイズムの錯綜/混乱から、状況の要求に応えて適切な帰結を引き出す。それはごく狭い周波数帯の中にひしめく短波の中から、クリアに放送を受信してみせる高感度のラジオを思わせなくもない。性格に信号を選び出し、適切なチャンネルに接続する。しかしそれは情報をそのまま情報として処理するのではなく、自らの身体を介し運動/活動へと変化させ、分岐させるものとなっている。『マヴォ』や「三科」の運動/活動をそうした枝分かれの軌跡ととらえることができる。と同時に、村山の画風/作風、色彩や形象への好み、活動領域自体が風に吹かれるようにころころと変化していく。これもまたひとつの軌跡にほかなるまい。もちろん彼のしていることは、単に要求に合わせてとっかえひっかえイズムや様式をアレンジしてみせることではなく、先に述べたように、そこから単なる課題に対する解決を超えた、見事と言うほかはない適切な帰結を引き出すことにあるのだが。
    
 少女エルスベットの像    ヘルタ・ハインツェ像  あるユダヤ人の少女像
        
             機関誌『マヴォ』表紙 1・2・3・7号

       
ダンス・パフォーマンス    山の手美容院          映画館葵館内装
    
               電話交換機                    モジュラー・シンセサイザー


3.キネティックな機械仕掛け

 ここでカギとなるのが、彼がずっと手放さなかった構成への志向/手触りではないだろうか。立体構成作品「コンストルクチオン」を実際に観ると、さほど大きくないヴォリューム、一見簡素でバランスの取れた配分の中に、様々な雑多な要素が詰め込まれていることに驚かされる。主たる部分は木片で構成されているが、各部分は同一平面に揃うことなく微妙にせり出し、あるいは引っ込んで、でこぼこした不均一さをつくりだしている。そして木質や木目はモンタージュされた各ピースで異なり、枠の部分すら連続した一体のものではない。さらに織り目の異なる布地(もしゃもしゃと絡まりあう毛(?)の部分を含む)や色合いや光沢、反射等の表面の風合いが違った金属板が張り込まれている。
 右上の写真モンタージュや右下のグリッドの中に刷り込まれた記号、あるいは他にも絵柄の配置があることを考えれば、この作品がグリッドやパネル、幾何学的形象の組み立て(単なる組合せではなく)による《視覚的構成物》であることは明らかなのだが、作品を構成する様々なピースの材質間の違いを間近でまざまざと見た後では、これはむしろそれ以前に《触覚的構成物》なのではないかと思わずにはいられない。すべすべと磨かれた表面とざらざらした切り口が接合され、指先に木目が浮かび、それがまた異なる角で組み立てられ、角が丸められていたり尖っていたり、布地の手触りの違いはもちろんのこととして、おそらくは金属板の手触りや温度感すら異なるのではないだろうか。もちろん展示物である以上、実際に作品に触れてみることはできなかったのだが。
 そうした《触覚的構成物》への夢想は、本作品を構成する各パーツがすべて可動で、浮き上がったり沈み込んだり、傾いたり、回転して向きを変えたり、あるいは各部が単独で動くだけでなく、矢印の軸の部分がキューのように動いて先端部を突き動かしたり、グリッドがパタパタとからくり時計のように組み替わったり、円盤が回転して他の部分と歯車のように噛み合い運動を伝えたり‥‥というキネティックな《機械的運動》への空想へと膨らむ。いま眼の前にある「コンストルクチオン」はそうした各部の運動が連動して刻々とつくりだすバランスのうちのひとつの瞬間に過ぎないのではないかと(『マヴォ』の表紙が縦組み/横組みの混在のみならず、逆さの字組みもしていたことが思い出される)。
 築地小劇場を興した小山内薫が「日本最初の構成派舞台」と賞賛した村山による「朝から夜中まで」の舞台装置も、単に様式的/意匠的に構成主義的であるというだけでなく、戦艦の甲板を思わせる舞台が登場人物たちの集合的な運動や照明の明滅/変化等によって、互いに離れた部分、異なる空間同士を新たに接合しながら、自らをいきいきと組み替え、ダイナミックな動きを生み出していくように思われる。そこには「コンストルクチオン」と同様のキネティックな機械仕掛けの感覚、ペーター・フィッシュリとダヴィッド・ヴァイスによるヴィデオ「事の次第」(※)が映し出していく「ドミノ倒し」的に様々な仕掛けが次々に連続し、衝突や転倒、燃焼や気化、物理的/化学的な変化による絶え間ない運動の伝播/連鎖のプロセス(ドゥルーズ/ガタリ的な「諸機械」)が確かに仕込まれている。それはまさに作品/舞台上に立ち騒ぐ様々な要素を適切につなぎ替え、接続し直す《交流/交換機》の作動ぶりにほかなるまい。
※「事の次第」については拙ブログの次の記事を参照
 http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-95.html
 http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-96.html

  
    コンストルクチオン      「朝から夜中まで」舞台模型
  
           「朝から夜中まで」舞台風景


4.不連続なモンタージュ

 村山の代表的作品というべき「コンストルクチオン」や「朝から夜中まで」の舞台装置は、このようにして、キネディックな機械仕掛けの連続的なメタモルフォーゼから、ある瞬間を取り出したように見えてくる。ずらりと並んだ、彼がデザインを担当した雑誌の表紙群やポスターの数々を見ても、それらが彼の作品世界の全体像を明らかにする感じはしない。それは美術作品や舞台装置、建築作品をはじめ、多くの作品が失われ、写真パネルでしか展示されていないことによる「欠落感」のためではあるまい。むしろここで感じられるのは、恣意的に抜き取られ並べられた「不連続なモンタージュ性」とでも言うべきもので、先程「コンストルクチオン」や「朝から夜中まで」の舞台装置について述べた「キネディックな機械仕掛けの連続的なメタモルフォーゼから、ある瞬間を取り出した」感覚と同じもののように思われる。
 そのことが最もわかりやすく示されているのが、彼が驚くほど数多く手がけた子どものための作品群ではないだろうか(第絃蓮屬海匹發燭舛里燭瓩法廖法ヴィクトリアン調も、アール・ヌーヴォー風も、モダニズムのデザインも、様々なスタイルを見事に消化し、ほとんど1作ごとに画風/作風を変えて描かれていったこれらの作品群は、その1冊ずつ、1篇ずつを見るのではなく、まずはトータルに全体をとらえ、そこに立ち現れてくる横断的に構成された巨大なアーカイヴから、ランダムにあるいはテマティックに1枚ずつを選び出し、不連続なモンタージュとして眺めるべきものではないだろうか。それと言うのも、その方が彼が1枚1枚に仕込んだ構図の巧みさ、画面構成と色彩配置の鮮やかさ、総合的な造形の見事さが、不連続であるがゆえにより一層明確に景色として浮かび上がってくる気がするからだ。
 これは彼がデザインを手掛けた雑誌やポスター群にも当てはまる。同じ雑誌のバックナンバーや上演作品の内容傾向からポスターを選び並べるのではなく、ほとんどランダムに配置され、互いが重なりあい衝突しあう中から様々な類似や相違が浮かび上がり、これらを通じて初めて、彼が一生手放すことのなかった「構成への手触り」が明らかになってくるように思われるのだ。
 反対に村山の残した原稿や書簡、ハガキを見ると、そのデザイン性(における自己主張)のなさに逆に驚かされる。彼の作品に共通する「構成への手触り」はそこには一切見当たらない。字体に強い個性はなく、小さめのおとなしい文字が、やや間を空けて規則正しく並んでいる。そこには達筆やレタリングのデザイン性はおろか、余白を許さない強迫観念も押し付けられてくるグリッド性も、あるいはそうしたものから逃れた天衣無縫さや融通無碍ぶりも感じられない。「構成への手触り」が彼に逃れ難くまとわりついた運命や宿痾ではなく、あくまで彼自身によって選び取られた結果、《交流/交換機》による切替/接続の適切な帰結であることがわかる。
       
    夢のくに         あめがふってくりゃ           せいの順
  
    ブランコブラリン          童画集表紙


5.花森安治の《定点》

 世田谷美術館では、村山知義展と同時開催で『暮しの手帖』の編集長を長く務めた花森安治による『暮しの手帖』表紙原画展を行っていた。この展示がまた村山の作品世界を別の角度から照らし出すように思われるので、そのことについて少し触れておきたい。
 イラストレーターであり、デザイナーであり、編集者であり、エッセイストであり、ジャーナリストであり、コピーライターであった花森は、時代こそ違え、村山と同じく多様なメディアを活動の舞台としたアーティストと言ってよい。そこには類似点がある。
 一方、相違点は花森の《変わらなさ》である。数多くの表紙原画を通して見ると、時期によってかなり画風が変化するだけでなく、ちろんモティーフが違い、絵具等のメディウムが異なり、時にはコラージュや写真のモンタージュに手を伸ばし、抽象的な色彩の広がりを描いてもいる。にもかかわらず、ここにはやはり《変わらなさ》の感覚が確かにある。それは女性、西洋風の塔のある城、キッチンやカップ、ポットといった幾度となく繰り返されるモティーフの枠組みを越えて、暖色系の色彩や柔らかな曲線的な形象/輪郭への好みであり、何より安定した配置への志向にほかならない。
 村山の子どものための仕事が、同じく柔らかな色彩や形象を用いながら、ぽつんと立ち尽くすような奥行き/向こう側へと視線を誘うのに対し(そこには確かな「構成への手触り」がある)、花森の絵は視界を隅から隅まで安心と暖かさで満たし、見えない(あるいはあるかどうかすらわからない)向こう側へと視線を誘うことがない。ここで眼差しは心を許しきって画題/画面と向きあうことができる。
 このことは、彼の絵が『暮しの手帖』という揺ぎ無い視点を据えた個性的な雑誌の評始原画であることと、当然深く関わっていよう。ましてや彼は雑誌の編集長だった。『暮しの手帖』において表紙は単に書店におけるアイキャッチや、雑誌の存在を示すファサードである以上に、生活に向けた提案/メッセージそのものであったろう。そこには《定点観測》的な眼差しの揺ぎ無さが込められている。



6.岡田史子のこと

 さらに補足として、村山知義の作品を観ていた時にふと思い出した岡田史子のことを少し書いておきたい。第犠呂寮睫世能劼戮燭茲Δ法村山知義展の会場には彼と同時代の、彼に様々な影響を与えもした多くのアーティストたちの作品が展示されていたにもかかわらず、展覧会を観終わって私の頭の中に浮かんだ名前は、なぜか岡田史子だった。
 『COM』でデビューし、萩尾望都はじめ多くの作家に衝撃を与え、すぐに筆を折り、やがて活動を再開するも、すぐに再度中断し夭逝した、この寡作の漫画家について改めて長々と説明する必要はないだろう。
 幼い頃から世界文学全集に親しみ、各国の童話や民話をはじめ、児童文学、詩、小説に通じ、作中にはボードレールやトーマス・マン、宮沢賢治、吉本隆明等が引用される。それだけでなく、画風自体がレイモン・ペイネやエドアルド・ムンク、ビュッフェ等の幅広い影響を受けながら、ほとんど1作ごとに変わっていく(作者自身によれば1作でその絵柄に飽きてしまうからだそうだが)。画面表現上の効果に関する実験も、ロウケツ染めによる不定形な模様や黒コンテによるラフな線(陰影)、削って尖らせた割り箸によるかすれをはらんだ描線の利用など多岐に渡っている。
 その作品はストーリーに導かれてキャラクターが動いていくドラマというより、1コマ1コマが独立した絵画/イラストレーションであり、隠喩/象徴であり、舞台装置のスケッチであり、肖像であり、モノローグであり、詩の断片であり、世界の片隅の風景であるような、独立したイメージの連鎖/モンタージュとなっている。そこではキャラクターは印象的なオブジェや点景、あるいは記号(文字や矢印)と同様、そのモンタージュを可能とする(イメージとイメージをかろうじて結びつける)換喩的装置のひとつでしかないように見える。その点、特に印象的なのが、そうした危うい綱渡りの連鎖をすら大胆に断ち切って挿入される大ゴマのカットである。そのひとつの頂点が萩尾望都も絶賛したという「墓地へゆく道」の列車に轢かれる幻想にふける少女の見開き一杯を使ったカットだろう。突進してくる列車の前に(というよりはどことも知れない薄明るい空間に)すべてを解き放ち、宙に浮かぶように投げ出される伸びやかな肢体。
 私はそうした岡田史子に多様な文化/影響による精神/記憶の沸騰に突き動かされながら、それらをつなぎ替え、結び合わせて「不連続なモンタージュ性」を生み出していった、村山知義同様の孤独な《交流/交換機》の姿を見ずにはいられないのだ。

    
    ガラス玉     ほんのすこしの水  「墓地へゆく道」扉絵


2ページ見開きの少女のカット

マティエールの感染−「マックス・エルンスト展」レヴュー−  Infection of Matiere−Review for "Exhibition of Max Ernst"−

  1. 2012/06/27(水) 21:53:08|
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 横浜美術館で開催されている(6月24日まで)「マックス・エルンスト−フィギア×スケープ 時代を超える像景」を観てきた。今回はそのことについて書いてみたい。
 なお、今回の作品展示はコラージュ、フロッタージュ、挿絵原画、油彩等、多岐にわたるものであったが、そうした幅広さすらもエルンストの広大な作品世界の一端を明かすに過ぎず、かえって彼の多彩さ/多才さを印象づけるものとなった。それゆえ本稿では「エルンスト論」的な構えは採りようもなく、ただ気づいた点、印象に残った点等を幾つか記すにとどめたいと思う。
  
マックス・エルンスト展ちらし


1.精密さへの志向

 今回の展示でまず驚かされたのは、エルンストの精密さへの揺ぎない志向である。挿絵原画は思った以上に小さく(印刷の原寸大?)、ほとんどミニアチュールと言ってよいほどで、(部分によっては)実に細密に描き込まれている。また、コラージュ作品では、各断片を貼り合わせた跡がまったくと言ってよいほど見られない。紙の地の色そのものが違うので、「この部分が貼り付けられた断片である」ことはわかるのだが、その断片の切り抜かれた輪郭を看て取ることはできない。上から貼り重ねられた厚みも感じられない。そこから浮かび上がってくるのは、コラージュによってもたらされるシュルレアリスティックな画面の「あり得なさ」を、魔法のように浮かび上がらせたいという欲望もさることながら、むしろ精密に貼り合わせること自体に対するフェティッシュな志向のように思われる。

 さらに『マクシミリア(Maximilia)』への一連の挿画においては、滑らかなドローイングによるフィギアから〈絵文字〉、象形文字を経て、ばらばらに振り撒かれたアルファベットに至る段階的な形態変化の相の中で、端正に並べられた〈絵文字〉が平面構成の主役となっている。それぞれの〈絵文字〉は、隣接性の原理を絶妙なバランス感覚で適用され、見事に凹凸を組み合わせており、一様な密度のブロックを形成している。それによって現れる空白部分の配置の完璧さは、空間恐怖に突き動かされた「詰め込み」の息苦しさを一切感じさせることがない。エルンストにおいて、細密さは正確無比な精密さを経て、広々とした余白/空間の開放へと結びついているのだ。

 このことは今回展示された最初期の作品から、彼の印刷された文字や図版への嗜好とというかたちですでに現れている。また、彼のコラージュ作品に素材として、雑誌から採られた銅版によるモノクロの挿絵(特に科学実験の場面が多い)が多く用いられているのも、濃淡の度合いをつくりだすために刻まれた線の細密さ/精密さと、印刷されることによって得られる「揺ぎなさ」の感覚ゆえではないだろうか。
    
  「白鳥はとてもおだやか…」       「鏡の中の天使」
わずか8.3cm×12cmという細密さ  同様に12.3cm×11.5cm

        
  『マクシミリア』挿画から  ドローイング集「Fiat Modes」表紙
  絵文字による平面構成  印刷された図版と文字の揺るぎなさ


2.マティエールの感染

 エルンストの作品を画集等で見る時には、「コラージュ・ロマン」のような作品系列が存在することもあって、コラージュはコラージュ、フロッタージュはフロッタージュ、デカルコマニーは‥‥と技法によって作品を分類してしまいやすいように思う。少なくとも私はそうだった。今回の展示を観て改めて気づかされたのは、そうした各手法による効果が、個別の作品やシリーズの枠組み(前述の「コラージュ・ロマン」や一連の挿画等)を超えて、互いに流れ込みあっている点である。

 たとえば油彩作品の一部にもやもやとしたデカルコマニーのマティエールが現れ、それが背景に仕込まれた、パレットナイフによるキュビスム的な切子面と対比されつつ、さらに様々なフィギアがコラージュ的に配される。ドローイングはコラージュ素材の銅版画による線を模し、別の油彩はグラッタージュ(絵具を掻き取る技法)のタイル面にも似た滑らかで硬質な輝きをたたえている。また、ドローイングや油彩の別を問わず、至るところに全体構図とは異なる「別の遠近法的空間」(時にそれは極端に簡略化され、単なる矩形と斜線の組み合わせに至っているのだが)がコラージュ的に仕込まれる。

 こうした効果の「流入」(「導入」と言うほど意図的ではなく、むしろ「なってしまった」感が強い)は、前述のように作品の枠組みを超えて飛び火しており、事後的な「感染」の印象すら与える。すでに描きあげた作品が、後から病に冒されて、そのマティエールをそのように変質させてしまったとでも言うように。
    
       「風景」              「つかの間の静寂」          「三本の糸杉」
 デカルコマニーのもやもやとした肌理やグラッタージュの光沢   周縁部に仕込まれた別の空間


3.ドイツ・ロマン主義の流れ

 エルンストのコラージュは、必ずシンボリックな物語を連れてくる。これは「コラージュ・ロマン」の作品群に限ったことではない。そこに現れるフィギアは記号的な装飾や類似した部分の拡大/縮小された投影を通じて、夢に似た換喩的な範列をかたちづくり、時に有名な「ロプロプ」のような「キャラクター」すら生み出すに至る。彼(=ロプロプ)もまた作品の枠組みを超えて神出鬼没な活躍を繰り広げるだろう。

 そうしたシンボリックな物語への志向は、彼をドイツ・ロマン派的なものへと結びつける。また、彼が繰り返し描いた奥深い森は、シュヴァルツヴァルト(黒森)のひんやりと湿った空気を連れてくる。そこに途方に暮れたように佇むフィギアとともに。そうした作品を見ると、やはり彼をドイツ・ロマン派、とりわけカスパー・ダーフィト・フリードリヒ以来の流れに位置づけたくなる。
 今回の展示の中で、フリードリヒの代表作のひとつである『海辺の僧侶(修道士)』が巻き起こした騒動(「何て空虚で非人間的な絵だ!」等の轟々たる非難が巻き起こった)を題材とした(非難を揶揄した‥ということはフリードリヒを擁護した)著作に、エルンストが提供した挿画を見ることができた。やはり‥と、そこに通ずる血脈の濃さを思わずにはいられない。
    
      「石化した森」          「少女が見た湖の夢」        「自由の称賛」
    奥深くしめやかな森に潜む神秘的ロマンティシズム     そこに淋しげに佇むフィギア


【追記】

 特別展示であるマックス・エルンスト展を観た後、そのまま同じフロアで横浜美術館の収蔵品による展示を観て回ることができた。現代美術の有名作家の作品(ブランクーシ「空間の鳥」をはじめ立体作品も多い)が幾つも並んでいたが、特に印象に残ったのは写真のゼラチン・シルバー・プリントの展示だった。
 ひとつは「シュルレアリスムと写真」と題された展示であり、マン・レイ、アンドレ・ケルテス、ジャック=アンドレ・ボワファール、ブラッサイ、果てはハンス・ベルメール等による、それこそ教科書で見るような作品が並んでおり、改めてその静謐な喚起力を味わうことができた。特に惹かれたのは、初めて観るインドリッヒ・シュティルスキー(Jindrich Styrsky)の『この頃の針の先で(From On the Needle of These Days)』と題されたシリーズからの作品で、9.4cm×9.0cmという本当に小さな区画の中に、古い家の階段の踊り場に置き忘れられたような記憶が詰まっている。ジョセフ・コーネルの〈箱〉にも似た感慨を覚えた。

 もうひとつもやはり写真なのだが、中平卓馬の作品が彼の第一写真集『来たるべき言葉のために』の頃の作品から、倒れた後、活動再開後の『原点回帰−横浜』所収の作品まで、やはり大判のゼラチン・シルバー・プリント等で並べられていた。
 たとえば1971年にパリで行われた第7回青年ビエンナーレ展に、その場で撮影した写真(新聞の紙面やTV画面の映像等を含む)を即刻展示することで応じた『サーキュレーション−日付・場所・イベント』からの抜粋は、ゴダール『気狂いピエロ』を思わせるポップな速度と切断の美学(性急な切断が更なる加速を招き寄せ、破滅的な加速がさらに痙攣するような切断を呼び込む)が踊っている(今年4月に作品集として出版されていたことを後から知った)。
 『プロヴォーク』時代の「アレ・ブレ・ボケ」によっていまだに森山大道と並べて語られることの多い中平だが、彼が焼き付ける、こちらに向けて問答無用に立ち上がってくる危機的な光景は、森山が都市の片隅に見出す点景とは、ずいぶん距離感やこちらに切迫してくるモーメントが異なっているように思う。
 中平の写真を読み解くカギは、初期のモノクロームに荒々しく切り取られた光景であっても、活動再開後のカラーによる一見凡庸に何かをそのまま「写した」写真であっても(今回の展示にはおなじみの猫やベンチで寝ているオヤジの姿はなかったのだが)、背景や地面がこちらに垂直にせり上がってくるように撮られ、視線が画面上を揺らぎさまよわざるを得ない〈オールオーヴァネス〉にあるように思う。
 画面に写り込んでいるのが猫や寝ているオヤジの姿であるがゆえに、私たちはそれをよく見知ったものとして、ろくすっぽ見もしないでざっと画面をスキャンし、簡単に輪郭をトレースして図像を浮かび上がらせ、被写体として特定し、何か「写真を見た」気になってしまう。だが、彼の写真の特質は、そうした被写体特定のプロセスが発動してしまう手前にとどまることによって明らかになるだろう(図像/フォルムを浮かび上がらせにくくするものとしての色相、写真集見開きページのレイアウトにおける濃淡や形象のシンメトリカルな配置等)。
 視覚や風景について思考を進めていく上で、彼は非常に重要な(そして稀有な)作家ではないかと見当をつけているのだが、まだ、充分に考えることができないでいる。今後の宿題としたい。
  
 インドリッヒ・シュティルスキー『この頃の針の先で』より

    
  中平卓馬『サーキュレーション−日付・場所・イベント』より    『来たるべき言葉たちのために』より

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