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Machinefabriek, Liondialer, Wink, Yui Onodera+Celer@Superdeluxe 23th Nov.2010

  1. 2010/11/29(月) 01:03:21|
  2. ライヴ/イヴェント・レヴュー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
 Machinefabriekと小野寺唯に注目して聴きに行ったもの。私にとっては、やはりその2つのセットが良かった。なお、演奏はWink→Yui Onodera+Celer→Liondialer→ Machinefabriekの順。

1.Machinefabriek
 幾何学的とも言うべき、ストイックな構築主義に特徴のあるRutger Zuyderveltのソロ・プロジェクト。坊主頭に厚い眼鏡をかけて、がりがりにやせたナードな風貌の彼が、エレクトリック・ギターを抱えて、エフェクター類(後で本人に確認したところではディレイやループ・マシン、ミキサー等)とコードが絡まりあって山になったテーブルに着く。
 足元のペダル操作でアタックを消去した、青白く冷ややかな音色が中空に浮かび上がる。ホタルの光の明滅を思わせる響き。ここでメロディやフレーズは、聴く者が勝手に投影する輪郭にほかならない(天空に瞬く数多の星々に「星座」の姿を見出すように)。しばらくすると、彼は弾く手を止め、テーブルの上のつまみの操作に専念しはじめる。響きは重ねあわされ、陽炎にも似た幽玄なモアレをつくりだすかと思えば、身をよじりながら空中ににじみ、不定形に溶け広がる。操作の手を止めて、生まれつつある音の景色を眺めやる彼の眼差しは、庭師のそれを思わせる。
 音は変調され、重ねあわされるうちに、劣化し、濁りを生じて、不透明な重さをはらみ始める。回路のトラブルなのだろうか、ハム・ノイズに似た耳障りなうなりが現れ、繰り返し繰り返し空間を横切る。彼は最初、そうした濁りを削除すべく試行錯誤していたようだったが、やがてハム・ノイズを欠かせない一部として含み、むしろ劣化によりぼろぼろなった音色を前面に押し立てたシークェンスをつくりあげる。数回試した後、結局、このシークェンスはほぼ丸ごと廃棄されてしまうのだが。
 その後、彼は携帯ラジオのスイッチを入れ、アナウンサーが読み上げるニュース(日本語)をローファイな音質で低く流しながら音響工作を続けるが、しばらくして、これもまた放棄してしまう。最後は再びギターを手に取り、弦の振動を空中に解き放たず、ただ回路にだけ取り込んで、彼は再びラジオ少年的な情熱を持って工作に取りかかり、冒頭の透明さとは異なる、パチパチ・ノイズに伴われた半透明に劣化した音響が、悲しげに辺りを眺め回す。
 結局、この日の演奏で彼だけがPCを用いなかった。音源はエレクトリック・ギターと携帯ラジオのみ(これも本人に確認)。素材と回路の操作性のストイックな限定。操作結果やラジオ放送内容の不確定性。ノートPCから数限りないサウンド・ファイルを引き出し、自在に加工してみせる現在一般的な手法に比べ、こうしたやり方はむしろ新鮮に映るかもしれない。だがそれはライヴ・エレクトロニクスの時代への先祖帰りでもある。あらかじめ答を知っている昔の問題を解くだけではしょうがない。むしろ、ここで試されているのは、ただただ混沌に落ち込むのではなく、常同行動/強迫反復に囚われるのでもなく、フラストレーションを爆発させるのでもなく、いかにクールな構築を図るかであり、また、運動の自在さを引き出してみせるかだろう。そうした視点からすると、機器トラブルから「偶然」生じたであろうハム・ノイズを、単にノイジーな爆発に解消するのではなく、積極的に「構築」に取り込もうとした姿勢は高く評価したい。その挑戦は今回実を結ばなかったけれども。その一方で、LPのサーフェース・ノイズを連想させるパチパチ音は抵抗なく使いこなすあたりに、「セピア感覚」的なフィルタの存在を感じる。ここは下手をすると、安易な心象風景化に流れやすいところだ(周囲の若い聴き手の評判はすこぶる良かったが)。

2.Yui Onodera+Celer
 小野寺唯が2007年にand/OARからリリースした「suisei」は、タイトル通りに「水音」を素材として用いながら、「水音」が持つ強い情景喚起力に頼ることなく、抽象的な強度みなぎる構築を目指していたことが印象的だった。
 今回のライヴはCelerとの共同作品「Generic City」(Two Acorns)のリリースを踏まえたもの。正面に2台のテーブルがセッティングされ、向かって左側の小野寺はPCを、右側のCelerは2台のカセット・マシーンを操作する。
 背後の壁面3面に青空が映し出される。やがて雲の切れ目から都市が姿を現す。視点はさらに下降し、ひとつひとつの建物の姿が浮かび上がる。画面は12に分割され、移動する人々のシルエットや様々な視角から切り取られた街の風景が変調され、緩やかな速度で動いていく。ヴィジュアル・イメージは都市が多様な細部から成り、常に動き続けていることを最後まで提示し続ける(演奏とヴィジュアルが連動して変化するわけではない)。
 海鳥の声が壁面に投影された青と響きあい、交通ノイズと子どもたちの声が、移動し続ける人々のシルエットを照らし出す導入部に続き、旋回する何物かがひゅんひゅんと風を切る音を、オルガンに似た端正な音色の電子音がゆっくりと浸していく。この電子音は今回の演奏/展開のひとつの基調となっており、提示される環境音など様々な具体音に対し、ゆったりとうねりながらゆるやかなヴェールをかけることにより、冷ややかな距離を導入し、浮かび上がる景色を透明なガラスの向こう側へと隔離して対象化する作用を持つ。それゆえ、この音がかぶせられると、具体音によって喚起される情景は、猥雑な生々しさを欠いて、モノクロ写真のスナップのような静謐さをたたえるに至る。夢の中の眼差しのようなスローモーション。
 カラスの鳴き声、遠くで響くアナウンス、強く弱く響く人の話し声、うっすらとディレイをかけられた街頭音(おぼろににじんで聞こえる)、甲高い読経、不穏な金属音、砂利を踏む足音‥。様々に移り変わりながら次々に情景を喚起していく具体音は、対象をクローズアップしてとらえた「切り取られた点景」(おそらくはサウンド・ファイルによる)と「包括的にひとまとまりにとらえられた空間」(おそらくはカセット・テープによる)を巧みに配合し、耳の焦点を絞らせない。さらにざらざらと粒子を荒くしたストリング音(先の電子音よりも情感的)の高まり、突如として眼の前に放り出されたようなオルゴールの響きなど、耳が思わず惹きつけられる音を配して、それまでの印象をあいまいにリセットするあたりも見事なものだ。
 私にとって、この日のハイライトであり、一番の収穫となったこの演奏に、あえて課題を求めるとすれば、タイトルとして掲げられた「Generic City」との関係だろうか。彼らの演奏は、ちょうど都市をさまよい歩くうちに様々な異質な風景に出会い、その遊歩を通じて都市の多様性を発見し、映し出していくものである。そこで確かに「遊歩者の視線」の下に都市の風景は「生成」していくと言っていいだろう。しかし、先に述べた電子音に象徴されるように、それらの風景はひとつひとつ対象化され、対象化された風景はひとつひとつゆるやかに切り離された点景(微妙に隣り合うにしても)として浮かび上がる。ひとつの風景の中で異質なもの同士が出会うことはない(このことは作品化されたCDでも基本的に変わらない)。演奏はまさに夢見心地のうちに進み、聴衆の耳を覚まさせることがない。同じく「Generic City」をキーワードに掲げた建築家レム・コールハースが描き出したのは、資本の圧倒的な流動と民衆生活の生々しいパワーのぶつかり合いによって、都市計画なぞ乗り越えて劇的に変貌を遂げていくシンガポールや上海、あるいはラゴスの風景、ノスタルジックな視線などはねつけて、沸騰するが如く野放図に生成していく都市の姿ではなかったか。
 彼らの見事な「プレゼンテーション」(「演奏」というよりも、そう呼んだ方が適切なように感じられる)を、「心象風景的」とは言えない。彼らの提示する音世界の豊かさは、決して甘やかに自閉したものではない。にもかかわらず、都市の喧騒を縫いながら、時折聞こえてくる子どもの声に、読経の響きに、懐かしくも変わらない人々の暮らしの物音に、ふっと安らぐ‥という心性が、演奏の基調として揺るぎなく据えられていることは、やはり疑いを入れないように思われる。サウンドスケープ的な作品が、無意識のうちに自らに課してしまう枠組み(暗黙の前提)について、今後も引き続き考えていくことにしたい。

3.Wink, Liondialer
 Winkは流れ続けるドローンにギターの弓弾き等でなくもがなの彩を添え、ヴォイスが何やら詩的なことを大儀そうにつぶやくという、まあ、よくある「自己陶酔の垂れ流し」というヤツですが、気になったのは3人のメンバーが、みな「自己陶酔」に自信がないらしく、周りを気にして不安げなこと(「挙動不審」というか)。だったら、最初からやらなければいいのに。
 Liondialerは18歳でデビューした若き天才Greg Hainesとマンチェスター音楽界の雄Danny Saulのデュオ(苦笑)。それぞれPCのほかにチェロとギターを演奏。ツィッターとか見ると彼らの演奏が最高だったという若者がいっぱいいるみたい。果たしてそうかなー。フェーズ・シフトかけてがーっとあからさまにノイジーに盛り上げて、その後、ギターをポロンと鳴らすとか、チェロを全開放弦で(要するに左手まったく押さえず)で弾きまくるとか‥‥あまりにあからさまでないかい。オヤジの耳には、70年代ジャーマン・ロックやECMが追及したドイツ・ロマン派美学を、かなり安直かつケーハクにパクっただけのように聞こえたぞ。たとえて言うと、彼らが文脈を設定して構築した大河小説を、クライマックスのセリフだけ借用して、ハーレクィン・ロマンスに仕立てたみたいな。嘘だと思ったら、ぜひ次の作品群を聴いてみてください。
Ralph Towner / Solstice
Eberhard Weber / The Colours of Chloe
Tangerine Dream / Zeit
Tangerine Dream / Rubycon
Klaus Schulze / Timewind
Klaus Schulze / X



yui onodera+celer
「generic city」(Two Acorns)

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